大相撲の元幕下で、春場所後に引退を発表した隠岐の富士(36)=八角部屋、本名・竹谷和也=が29日、山陰中央新報社の取材に応じ「地元の応援があったから続けられた」と感謝した。出身地の島根県隠岐の島町の住民からは、18年の相撲人生をねぎらう声が相次いだ。
隠岐の富士は隠岐水産高校相撲部で頭角を現した。180センチを超す体格が八角親方の目に留まり、卒業後の2006年に入門。竹谷のしこ名で06年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は幕下11枚目で、生涯戦績は380勝362敗だった。
隠岐の島町港町の実家で取材に応じた隠岐の富士は「けがではなく、体が動きにくくなっていた」と語り、日本相撲協会の試験を受けて世話人になる道を選んだと説明した。「今後は地元に貢献したい。18年間応援していただき、長く相撲ができた」と感謝した。
父で漁師の稔さん(66)は「再就職を考える時期だと思っていたので一安心した。皆さんの支援を受け、真面目にやったおかげだと思う」と笑顔で話した。
23年9月の君ケ浜親方(元関脇隠岐の海)の引退相撲では、親方から最後の取組相手に指名され「自分でいいのかと思った。力が強かった」と生涯で最も記憶に残る一番になったと振り返った。
西郷相撲振興会の奥谷寿久会長(82)=隠岐の島町港町=は「隠岐の海と同じく、『人間よし』で勝つ相撲にこだわらなかった」とねぎらい、池田高世偉町長は「華やかなスポットライトを浴びたわけではないが、隠岐の人にとって応援したくなる人柄だった」とたたえた。
(鎌田剛)
【隠岐の富士も登壇 (2023.10.16)】













