2015年山陰中央新報社地域開発賞 表彰式

地域貢献6人 活躍願う  (2015/10/23)

松尾倫男社長から表彰状を受け取る白川和子さん(左)=松江市千鳥町、ホテル一畑

 島根県内の各分野で地域社会の発展に尽力、貢献した人を顕彰する2015年山陰中央新報社地域開発賞の表彰式が22日、松江市内であり、5賞6部門の受賞者6人が長年の取り組みを振り返り、今後のさらなる活動の推進を誓った。

 受賞者は太田清美さん(55)=スポーツ賞、安来市広瀬町▽園山土筆(つくし)さん(69)=文化賞、松江市八雲町▽森脇治夫さん(64)=教育賞、出雲市西平田町▽渡辺哲朗さん(69)=産業賞1部農林水産、益田市赤雁町▽白川和子さん(63)=同2部商工、浜田市旭町▽安部利一さん(76)=社会賞、益田市飯田町。

 表彰式で、山陰中央新報社の松尾倫男社長が「その道一筋に打ち込み、地域づくりに先鞭(せんべん)を付けた功績に敬意を表します」とたたえ、表彰状を手渡した。

 祝賀会で、指導者としてフェンシングの普及、振興に努めた太田さんは「賞は子どもたちに与えてもらった心の勲章だ」とあいさつ。劇団を結成し、演劇の魅力を伝えてきた園山さんは「島根や山陰を世界から憧れを持たれるような地域にしたい」と力を込めた。

 高校の吹奏楽部を指導し、若手指導者の育成に尽力した森脇さんは「島根の吹奏楽の伝統が今後も引き継がれるよう頑張る」、子どもたちに農業や食の大切さを発信してきた渡辺さんは「土を耕すことが、心を耕す『土耕心耕』との言葉を常に伝えてきた」と信条を紹介した。

 石見焼や石州和紙など県西部の伝統工芸品の普及に努めた白川さんは「石見地方の文化や歴史、風土から生まれた工芸品の良さを伝えたい」と意気込みを示し、目の病気と向き合いながら、視覚障害者の生活や権利の向上に取り組む安部さんは「今回の受賞がつらい思いをして暮らしている人の励みになれば幸いだ」と話した。

2015年山陰中央新報社地域開発賞 受賞者の横顔

 山陰中央新報社が、島根県内の各分野で長年、地域社会の発展に尽力、貢献している人を顕彰する「2015年山陰中央新報社地域開発賞」の表彰式が22日、松江市千鳥町のホテル一畑で開かれる。表彰に合わせ▽スポーツ▽文化▽教育▽産業(第1部門、第2部門)▽社会-の各賞を受賞する6人の功績と横顔を紹介する。

第60回スポーツ賞

フェンシングを通じて子どもたちに夢を持ってほしいと指導を続ける太田清美さん=安来市広瀬町広瀬、広瀬中央公園小体育室

島根県フェンシング協会総務部長
  太田 清美さん(55)

     =安来市広瀬町=

「町技」強化に情熱注ぐ

 安来市広瀬町を中心に20年以上、地元の小中学生のフェンシング指導に当たる。1982年の「くにびき国体」の会場となり、今も「町技」として盛んな地で「子どもたちに夢を持ってほしい」と願い、指導者として競技の普及、強化にあふれる情熱を注ぐ。

 島根県広瀬町(現安来市)で生まれ育った。競技との出会いは75年、安来高校1年の時。島根国体をにらんで新設された同好会に入ったのが始まりだった。

 練習場所が屋上や廊下という環境で、部活動への昇格条件は「1人でも全国切符を手にしたら」。2年目で昇格が実現し、自身も3年時の全国高校総体(インターハイ)で全国の大舞台に立った。

 卒業後、町役場に入り、職員として地元国体に向けた普及、強化のため、町内の中学校や高校の指導に歩いた。母校の82年の国体優勝はならなかったが、インターハイで女子が同年、男子が83年、それぞれ団体、個人の2種目で日本一となり、伝統の礎となった。

 93年に毎週日曜日のフェンシング教室を開校してから、ジュニア指導が本格化した。「1歩目の速さ」を重視したトレーニングで基礎となる下半身を鍛え、瞬発力を高めた。

 96年には町内4小学校でも巡回指導を始め、そこで興味を持ち、通ってくる子どもたちが増えた。教室の代表として、大切にしているのがあいさつなどの生活の基本。学校、学年を超えて和やかで楽しい練習の中で、必要と思えば厳しく接することもある。

 教室出身の子どもたちの多くは、安来高でも競技を続け、県フェンシング界を引っ張る存在となる。2011年のインターハイ団体優勝を果たし、日本代表として活躍する長島徳幸選手(法大)も、その1人。子どもたちには日の丸を背負う先輩の姿と自らを重ねながら、それぞれの夢を育んでほしいと願っている。

 04年の広瀬町フェンシング協会発足以来、理事長を務める。「一つの家族」という地元の子どもたち、競技関係者とともに「フェンシングの町」の発展を支え、新たな歴史を重ねていく。

第54回文化賞

「セロ弾きのゴーシュ」上演へ、劇団員に演技指導をする園山土筆さん=松江市八雲町平原、しいの実シアター

NPO法人あしぶえ理事長
  園山 土筆(つくし)さん(69)

     =松江市八雲町=

地域演劇の魅力伝える

 1966年の劇団「あしぶえ」結成以来、演劇によるまちづくりを実践。「人のぬくもりを伝えるのが演劇だ」と、松江市八雲町平原の「しいの実シアター」を拠点に演出家、プロデューサー、芸術監督として地域演劇の魅力を発信し続けている。児童、生徒らのコミュニケーション能力向上にも取り組み、次世代の人材育成に力を注ぐ。

 活動の原点は、劇団創設当初の苦い思い出。旗揚げ公演に向け協賛を求めて企業回りをしていたとき、松江市内のある企業で塩をまかれた。「何で塩をまかれなければいけないのか」「優れた芸術文化である演劇を人々の暮らしに浸透させたい」と思った。

 20年後、同市砂子町に照明、音響、幕類を完備した小劇場としては中国地方で初めての「あしぶえ50人劇場」を設立。89年には劇団の代表作となる「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治原作)を初演し、46回上演した。観客が4人の日もあったが、その年最後の公演日は満員の50人を集めた。その後、同劇は海外演劇祭で六つの国際賞を受賞した。

 95年には、公設民営劇場「しいの実シアター」の建設に当たり全国から寄付を募り、寄付金など3千万円を旧八雲村に寄付した。2001年からは国内外の劇団が集う八雲国際演劇祭を3年に1度開催。毎回、県内外から300人を超すボランティアが協力する。

 05年からは、学校などで発声や表現力を養い相手との意思疎通を図る講習もしている。「演劇は人間の生き方を表現している。自分が言ったことを相手がどう受け止めるのかを想像できないと、人を思いやることはできない」と話す。

 今年、代表作「セロ弾き-」の演出を刷新し、より質を高める。同国際演劇祭がない年は、規模を小さくした演劇祭を企画し、演劇の魅力を発信し続ける。

 劇団結成から49年。「演劇は1人ではできない。今があるのは、これまで支えてくれた劇団員や応援してくれた人たちのおかげ」と感謝する。同時に「これからも自分たちの力で演劇の魅力を伝えていきたい」と意欲を燃やす。

第49回教育賞

吹奏楽部員を熱心に指導する森脇治夫さん=出雲市平田町、平田高校

島根県吹奏楽連盟理事長
  森脇 治夫さん(64)

     =出雲市西平田町=

吹奏楽指導全国へ導く

 高校の吹奏楽部を長年にわたり情熱的に指導。生徒の感性を育むとともに、全国大会に数多く導き、島根県内の音楽の振興、発展に大きく貢献した。“吹奏楽王国島根”の名を全国に広め、「吹奏楽は島根の誇る文化ブランド」と自認するほどになった。

 音楽との出会いは平田小学校5年の時。母親の勧めで、全国入賞を重ねる同校の合唱部に入った。しかし変声期で歌いづらくなり、平田中学校では合唱ではなく吹奏楽部へ。サクソホンを担当して腕を磨いた。

 技術を高めたいと吹奏楽が盛んな出雲高校へ進み、3年時の1968年に同校吹奏楽部初となる全日本吹奏楽コンクールの舞台に立った。メンバーが一つになって大舞台で音を響かせた感動。「これを味わわせてやれるようになりたい」。演奏後に募った思いが原動力となり、音楽教師の道を歩み出した。

 浜田高校などを経て赴任した母校の出雲高校では、勤務した14年間で10回、吹奏楽部を全日本吹奏楽コンクールに導いた。部員わずか9人の川本高校(現島根中央高校)に異動しても、日本管楽合奏コンテストの全国大会出場を果たすなど実績を挙げた。

 「部員数などは関係ない。どの地域の子どもも丁寧に教えれば必ず伸びる」。音のイメージをつかめるように例える息づかいの方法など、工夫を凝らした分かりやすい指導に、生徒は真っすぐ付いてきた。

 演奏力を追求するだけでなく、地域に愛されるバンドを目指し、どの高校でも地元の祭りや幼稚園、福祉施設で積極的に公演。住民の笑顔の輪を広げた。

 県吹奏楽連盟の理事長は2008年から3年間務めた。島根全体のレベルアップに向け、全国トップレベル校の視察を組むなど、若い指導者の育成にも取り組んだ。

 教師を定年退職した今も平田高校で吹奏楽部の講師を務め、初の全国出場をかなえている。「子どもは宝。指導するほど成長し、高め合える存在になる。今後も理想のサウンドを追い求めたい」。学校同士も切磋琢磨(せっさたくま)して高め合うことで、王国のブランドがさらに輝くことを願っている。

第49回産業賞 第1部門(農林水産)

農村公園「赤雁の里」の畑をミニ耕運機で耕す渡辺哲朗さん=益田市赤雁町

西いわみ集落営農組織協議会会長
  渡辺 哲朗さん(69)

     =益田市赤雁町=

農村公園核に交流促進

 益田市と津和野、吉賀両町の44の集落営農組織でつくる「西いわみ集落営農組織協議会」の会長を務め、農業振興に尽力している。交流人口の増加を通じた地域活性化を狙い、2001年には、地元の同市赤雁町に農村公園「赤雁の里」を開設し、子どもたちの農業体験も実施。「農業や食の大切さを伝え、後継者を育てたい」と力を込める。

 高校卒業後、家業の農業を継いだ。39歳から20年間、地元の自治会長を務め「10年先、20年先の人口減は避けられないと分かった」と振り返る。

 農業の担い手不足を解消すべく、自ら町内の農地集積を進め、現在は町内の農地11ヘクタールのうち9ヘクタールを引き受け、水稲栽培や後進の指導に当たる。

 「土耕心耕」という言葉を若手に伝える。土を耕すことは心を耕すこと、という意味だ。「農業はすぐには結果が出ない。土を耕して種を植え、天候に気を配る。病害虫を駆除し、雑草を取り、ようやく収穫に至る。準備が大切であり、人生に通ずる」と語る。

 自身が社長を務める赤雁の里は、1997年から地元有志30人とともに赤雁地区活性化推進協議会を立ち上げ、開設準備を進めた。「赤雁の山や川、田畑は地域資源。住民は地元の良さに気づかないが、よそから来た人は喜んでくれる」との信念があった。

 開設までの間、会合は年間100回を数え、運営方法や事業内容を協議したり、仲間とともに郷土史家から地元の歴史を学んだりした。夜を徹することも度々で「一晩に一升瓶を2、3本転がした」と笑う。

 施設は市民農園や交流館を備え、地元のコメや野菜を使った料理を提供する予約制のレストランも運営。これまでに約2万4千人が利用している。

 夏になると地区内の沖田川でウナギやツガニを捕り、訪れる子どもたちに見せる。「子どもの目の輝きが違う」と喜ぶ。

 来年、古希を迎える。「田舎は受け身になりがちだが、自分から人の中に入れば、学ぶことも多い。できる限り、人と土に携わりたい」と相好を崩す。

第49回産業賞 第2部門(商工)

石州嶋田窯の販売スペースで、石見焼の食器のレイアウトを考える白川和子さん=江津市後地町

協同組合グループ石見ブランド事務局長
  白川 和子さん(63)

     =浜田市旭町=

工芸品普及に日々奔走

 島根県西部の伝統工芸品である石見焼、石州和紙、木工品の関係7団体でつくる「グループ石見ブランド」の事務局長を務め、20年以上にわたり、工芸品の普及に心血を注いできた。「自慢できる良いものが石見にある。魅力を伝え、使い続けてもらいたい」と日々、奔走している。

 陶器好きの父に付いて、幼いころから実家近くにある石見焼窯「雪舟窯」を訪れるなど、工芸品は身近だった。養護教諭を経て、旧旭町役場で勤務後、1991年に転職した企業で、グループ石見ブランドの事業に従事。工芸品の維持と発展を目的にした交流会やコラボレーション商品の開発を企画し、異業種のマッチングを図ってきた。

 交遊関係が広がるにつれて、人と人をつなげる面白さに目覚めた。2008年には、江津市内で若者を中心にしたネットワーク「う・まいんど」を立ち上げ、多業種の人が食事を交えながら垣根を越えて交流する場も創出。料理を盛る器には石見焼を使い、併せて魅力を伝えた。「工芸品は身近にある暮らしの道具。日常的に使い続けることで心の豊かさにつながる」という考えが根底にある。

 08年からは、関東圏の高級スーパー大手、紀ノ国屋で、食品と石見の伝統工芸品を組み合わせた企画展を開催するなど、地域外への積極的なアプローチも試みている。

 さらに、食生活を中心に変化しつつある生活様式に、工芸品が普及する糸口を見いだす。「自分でみそを造ったり、梅干しを漬けたりする消費者が増えてきている中で、保存容器として優れている石見焼の魅力を再発見する人が増えてほしい」と話す。

 30代のころから「後悔するなら、先の反省」をモットーにし、興味を引かれたことには迷わず挑戦してきた。職人のみならず、伝統工芸の普及を進める動きが各所で広がり始めていることに期待を寄せ、最近は後継者の育成に力を入れる。「培ってきたノウハウをいろいろな人に伝えたい。そうすれば、自分も新しいものを吸収できる」。好奇心が尽きることはない。

第49回社会賞

山陰支部の会員が思いを寄せて、半年に1回発行する支部通信「ビッグスワン」を手にする安部利一さん=益田市飯田町の自宅

日本網膜色素変性症協会山陰支部長
  安部 利一さん(76)

     =益田市飯田町=

眼病患者に心の安らぎ

 視野や視力が悪化していく難病「網膜色素変性症」の患者でつくる日本網膜色素変性症協会の山陰支部が今年7月、設立20周年を迎えた。「多くの人に支えてもらい、ここまで来ることができた」。支部長として記念式典に集まった人たちを見て、感慨に浸った。

 全国組織ができた翌年の1995年、他地域に先駆けた支部の立ち上げに奔走した。「病気のことを誰にも言えず、不安を抱えている現状を、何とかしなければと思った」と振り返る。患者同士が悩みを語り合い、お互いを知る場が必要と、強く感じたことが原動力になった。

 子どものころに目をやけどし、左目が失明、右目は弱視になった。「弱視だから、みんなの仲間に入ることができなかった」。障害を理由に差別や偏見を受けることもあった。

 40歳になったころ、目の前がまぶしくなったり、視野が狭くなったりして、人にぶつかるようになった。失明する可能性がある網膜色素変性症の症状だった。妻に内緒で県内外の病院を回ったが、病名はどこも同じ。打ち明けられた妻はショックを受けたが、自身は前向きに受け入れていた。

 それから約15年間、県内で同じ病気の人に出会うことはなかったが、94年5月、山陰中央新報の「明窓」に、網膜色素変性症のことが書かれているのを見つけた。全国組織が発足し、理事を松江市の患者だった荒木英之さんが務めているという内容だった。

 「こんな人がいるのか」。居ても立ってもいられず、荒木さんに電話した。会うと意気投合し「地方でも支部をやろう」と県内の患者への呼び掛けを始め、山陰支部ができた。

 98年、2代目の支部長に就任。臨床心理士として児童相談所に勤務した経験を生かし、相手の心境に合った助言をするピアカウンセリング(障害者同士の相談援助)を実践している。

 「これからも患者は出てくる。誰もがよりよい生活ができるよう、先輩として相談に乗っていきたい」。話を聞くことで患者や家族の気持ちが安らげば、何よりもうれしい。

2015年山陰中央新報社地域開発賞 選考委員(順不同、敬称略)

[第60回スポーツ賞]
島根大学名誉教授 久保田康毅
島根県教育庁保健体育課長 堀江 隆典
島根県体育協会専務理事 下岡 博司
島根県スポーツ推進委員協議会会長      森本 敏雄
島根県高校体育連盟会長 片寄  進
島根県中学校体育連盟会長 野津 一雄
[第54回文化賞]
島根大学法文学部長 吹野  卓
島根県教育委員会教育長 藤原 孝行
島根県市町村教育長会会長 清水 伸夫
島根県環境生活部長 新田 英夫
NHK松江放送局長 國友 充範
山陰中央テレビジョン放送社長 有澤  寛
[第49回教育賞]
島根大学教育学部長 小川  巌
島根県教育委員会教育長 藤原 孝行
島根県市町村教育長会会長 清水 伸夫
島根県高校PTA連合会会長 幸増浩一郎
島根県PTA連合会会長 佐々木 功
島根県高校文化連盟会長 舟木  健
[第49回産業賞]
島根大学生物資源科学部長 澤  嘉弘
島根県農林水産部長 坂本 延久
島根県商工労働部長 安井 克久
島根県商工会議所連合会会頭 古瀬  誠
島根県商工会連合会会長 石飛 善和
島根県農業協同組合中央会会長 萬代 宣雄
漁業協同組合JFしまね会長 岸   宏
[第49回社会賞]
島根大学名誉教授 猪野 郁子
島根県教育委員会教育長 藤原 孝行
島根県環境生活部長 新田 英夫
島根県健康福祉部長 藤間 博之
島根県警察本部長 米村  猛
島根県社会福祉協議会会長 江口 博晴
島根県連合婦人会会長 田儀セツ子