コラム・明窓
(16日)

 東京都新宿区。JR山手線の新大久保駅を出ると、大久保通りの両側に韓国料理や韓流グッズの店がひしめく。歩道は日本人女性客でいっぱいだ。そんな喧騒(けんそう)から100メートルほど入った場所に、小泉八雲記念公園はあった▼古代ギリシャの柱や集会所(アゴラ)をイメージした広場などがあり、ギリシャ政府から贈られた八雲の胸像も設置されている。八雲は1896年から8年間を新宿区で暮らした。1993年、終焉(しゅうえん)の地近くに記念公園が造られた▼八雲は1892年夏、セツ夫人と隠岐を訪れている。来島120周年を記念して25日、島根県海士町でシンポジウムが開かれる。八雲はなぜ海辺の町に引かれたのか−。島根県立大短期大学部教授の小泉凡さんをコメンテーターに、国内外から、ゆかりの土地のパネリスト6人が語り合う▼1890年、40歳で日本にやってきた八雲は横浜から松江へ赴任。その後熊本から神戸、そして東京へと移る。日本での14年間に居住したり、旅行したりしたゆかりの場所は多い。各地が手を結び、観光資源として利用できないか▼小泉凡さんによると、松江での一昨年のサミットを機に、全国の八雲会など二十数団体の緩やかな絆ができたという。松江市では八雲の「怪談」ゆかりの地を巡るゴーストツアーが人気だ。八雲との”縁”を文化的資源として生かす試みが、各地で始まっている▼通りの喧騒を持ち込み、八雲記念公園に大声が響く。昔には思いもよらぬ騒がしさだ。胸像の八雲の顔が苦々しげに見えた。(晶)

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