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条件整え島根県に編入 下條正男・拓殖大教授に聞く 大韓帝国の勅令第四十一号の発布から五年後の一九〇五年一月二十八日。明治政府は閣議決定により、松島やリャンコ島などと称された日本海に浮かぶ絶海の孤島を日本領とし、正式に「竹島」の名を刻む。そして、二月二十二日付の「島根県告示第四十号」で同県に編入。百年後の今春、島根県が同日を竹島の日と定めた歴史の幕が開けた。
−明治政府が、現在の竹島(韓国名・独島)を日本に編入した経緯は。 「一九〇三年五月、隠岐島に住む中井養三郎が現在の竹島でアシカ漁を始めた。だが、領有権が明確でないために他国とのトラブルなど、不測の事態を招く恐れがあった。間もなく、過当競争による乱獲の弊害も出始めた。中井によると、〇四年には山口県の岩崎という人物らが鬱陵島の朝鮮人を雇って、現在の竹島でのアシカ漁に参入した」
「そこで、中井は〇四年九月二十九日に竹島の領土編入と貸し下げを内務、外務、農商務省の三省に願い出た。これを受けて、政府は閣議決定で日本領土に編入した」
−その根拠は。 「ポイントは二つある。まず、竹島を他国が占領したと認められる形跡がないことを確認した。さらに、中井の漁業会社が小屋を構えていることを、国際法上の占領の事実とした。これらのことから、竹島を『無主先占』の地であると判断した」 −韓国側は、一九〇〇年に出した勅令第四十一号で欝島郡所管にした石島を現在の独島とし、日本より先に領有権を明確化したと主張している。
「先に述べたように、根拠が発音の近さだけでは、石島が独島であるとの証明になってない。そもそも、リャンコ島などと呼ばれた現在の竹島を、韓国側で独島と呼ぶのは一九〇四年以降だ。背景には鬱陵島の産業の変化がある。中核を担ってきた林業が廃れ、〇三年ごろから、代わる産業として漁業が盛んになった。島近海でイカの好漁場が発見されたためだ」
「韓国側は、鬱陵島では古くから漁業が行われ、朝鮮人の島民が現在の竹島に渡っていたと思い込んでいるが、事実と異なる。〇三年以前、鬱陵島の朝鮮人は農業に従事し、漁業は日本人の独壇場だった。この点から見ても、朝鮮人が竹島に渡るようになるのは、日本人に雇われて、同島でのアシカ漁に参加し始めた〇四年以降だ。これに伴い、リャンコ島に代わり、独島との呼称が使われ出す。この事実は、石島が独島でなかったことを示す」
−日本側の主張、手続きに無理はないのか。 「閣議決定や島根県告示自体に問題はなく、国際法上、竹島を日本領土とする正当性は揺るがない。大韓帝国政府の勅令第四十一号とは違い、緯度と経度も明確にしている。ただ、外務省などの『固有の領土』との主張には違和感を覚える」
「説明してきたように、韓国側は一九〇四年までは現在の竹島に行っていないし、存在を認識していたかも疑わしい。一九〇〇年、鬱陵島を欝島郡に昇格する際、現地調査した大韓帝国政府の役人・禹用鼎も、現在の竹島には行っていない」
「従って、勅令第四十一号で竹島が韓国領になったとの論は成り立たない。一方で、日本の固有の領土でもなかった。言い換えれば、〇五年の閣議決定と島根県告示で、初めて竹島の帰属先が明確化されたというのが正しい」
('05/08/28 無断転載禁止)
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