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 なるほど!石見銀山 :  遺跡を歩こう(13)中世の波根湖に貿易港
 掛戸の松島
 中村唯史(三瓶自然館学芸員)

 石見銀山が活況を呈していた十六世紀後半、中国の資料にある港の名が現れる。温泉津や江津と並び、石見を代表する港の一つとして記された、その名は「はね」。それは大田市東部の波根だという。

 大田市街から国道9号を東へ進むと、左手に広がる低平な水田が目に入る。波根湖干拓地だ。一九五〇年までここには海とつながった湖があった。立ち止まって眺めると、干拓地が皿のように浅く凹(くぼ)んだ地形をしていることに気付くだろう。干し上げられた湖底がそのまま水田になっているのだ。

 波根湖は砂州が内湾を閉ざしてできた湖である。JR山陰線と並行して家並みが連なる柳瀬地区が砂州の部分にあたる。柳瀬の東は大津。大きな津、すなわち「大きな港」を意味する地名が、湖に面していた場所にある。大阪工大教授の井上寛司氏は、中世の波根湖は国内外の交易船が出入りする港湾だったと指摘する。

 柳瀬集落の西は急崖に囲まれた丘陵である。石見銀山をめぐって尼子氏と毛利氏が争った時、尼子氏はこの丘陵上に鰐走城(わにばしりじょう)を、対岸の刺鹿に岩山城を構えた。鰐走城には水軍が配置された。尼子氏にとって波根湖は戦略上の拠点港だったらしい。その時代は、中国の文書に「はね」が石見の主要港として記された時期とほぼ同じ。幻の港と石見銀山。二つが赤い糸でつながりそうな気配だ。

 さて、鰐走城があった丘陵の西側は掛戸という切り割り水路で切られている。掛戸の先にはろうそくのように細い松島があり、ちょっとした景勝地だ。とりわけ、松島の向こうに日が沈む夕照の風情は素晴らしい。

 掛戸の開削について、伝承は次のように伝える。十三世紀の後半、柳瀬にあった水路が砂で閉じ気味になり、波根湖がしばしば氾濫(はんらん)した。そこで地元の有馬氏が掛戸の開削に着手し、十四世紀初頭に完成した。

 では、十六世紀に波根の港に入港した交易船や尼子軍の船は掛戸を通ったのだろうか。しかし、掛戸の水路はごく浅く、交易船が通ることはまず不可能。他に水路があったのか。あるいは開削の時期が伝承とは異なるのか。

 幻の港はいまだ歴史の霧の中。その謎を解く鍵は眼前に広がる水田の下に埋もれている気がしてならない。

('07/12/26 無断転載禁止)

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