(2)斜坑

 富を産み出す高度な技

天井、壁、石段に生々しいのみの掘り跡が残る大久保間歩の斜坑。銀を求めたエネルギーに圧倒される=大田市大森町
 底無しの闇の迷宮に落ちていく恐怖感に襲われた。

 石見銀山遺跡最大の坑道・大久保間歩(まぶ)。入り口から約60メートル地点の岩壁に、人1人がくぐって入れる穴が開いている。約30メートル下の間歩をつなぐ連絡坑道・斜坑(しゃこう)の入り口だ。

 目の前には黒い幕が降りたような完全な闇が迫る。懐中電灯で照らし、目を凝らすと、天井と壁、石段の全面に岩盤を削った生々しいのみの跡が浮かび上がる。

 岩盤の壁を両手で突っ張り、体を支えながら、1段ずつ慎重に降りる。傾斜角約45度。天井から水がしたたり、石段に掘られた溝を勢いよく流れ落ちる。石段と壁の掘り跡が、不思議に手や足の滑りを防いでくれる。

 「大久保間歩のある谷には、多くの間歩や露頭掘りの跡が集中し、すごく重要な場所」と、石見銀山資料館の仲野義文学芸員(40)。

 石見銀山遺跡は多くの謎に包まれている。大久保間歩がいつ開発されたのか、斜坑の目的もはっきりと分からない。斜坑は間歩をつなぐことにより、水を抜き、空気を循環させ、鉱石の運搬など作業の効率化を図ったとみられる。石見銀山では、江戸時代初期から中期にかけて、徳川幕府直営で盛んに銀が掘られた。大久保間歩と斜坑も、そのころに掘られたらしい。

 斜坑の石段は全部で112段。降り始めに180度、半分過ぎた地点で90度と2回曲がる。昇降のしやすさを考えたのか、複雑な構造だ。

 建設会社を営む波多野諭大田商工会議所副会頭(54)は、斜坑の掘られた場所が、上下2つの間歩が交差する地点であることに注目。「上と下から掘り進み、つなげたはず」と、山師と呼ばれた技術者の正確な測量技術に驚く。巨大な大久保間歩と斜坑は、豊かな富を産み出す源に、高度な技術力があった史実を今に伝える。

 いったい何人の労働者がどんな思いを込めて岩盤を切り開き、石段を削り、昇り降りしたのだろうか。
 怖いほどの歴史の重みと迫力に圧倒された。

2004年7月20日 無断転載禁止