(3)古龍

 鼻ぐり岩に繁栄の名残

戦国時代に繁栄した名残を伝える古龍の鼻ぐり岩。一帯には人工の構築物がまったくなく、中世の景観を保全している=島根県温泉津町湯里
 幻の港-。そこは、石見銀山が開発された約480年前の風景を、そのまま、とどめていた。

 島根県温泉津町湯里の古龍。昭和40年代以降、人が住まなくなったため、陸路は絶え、船でしか訪れることができない。温泉津港から海路40分。湾の深い天然の良港だ。岩場に降り立つと、コンクリート護岸など人工の構造物は一切なく、港の奥は砂浜のまま。

 1つ、2つ…。岩を削ってつくった、まんじゅう形の鼻ぐり岩が港の東側に20個あった。停泊する船のもやい綱を結んだものだ。戦国時代の古龍の繁栄を伝える。風化が激しい岩もあり「外国船が来たに違いない」との思いが頭をよぎる。

 「古龍は昔から『古龍千軒』とたたえられた。古龍から鞆ヶ浦(仁摩町)までの港に、銀を求めて船が来港したのだろう」

 県の石見銀山遺跡総合調査に加わった江津市跡市小教頭の多田房明さん(45)=仁摩町=が語る。

 古龍や鞆ヶ浦には、博多の豪商・神谷寿禎が1526(大永6)年に石見銀山を開発した後、銀山史の初期に、銀鉱石を求めて多くの船が来港したとされる。

 文献「大内義隆記」が寿禎の開発から2年後、宝の山、銀山情報を聞き「唐土(もろこし)天竺(てんじく)高麗の船が来た」と外国船到来を記すが、どこに入港したかは謎に包まれている。

 砂浜の奥を探ると、屋敷跡のような石段があった。県の調査で付近からは、戦国末期の中国で製作された染付の陶磁器片が見つかっている。

 鼻ぐり岩が盛んに用いられた当時、世界は大航海時代の真っただ中にあった。

 奇跡的に手つかずで残った中世の港は、往時の人と物の動きを連想させる。陸路を整備し、本格調査すれば、石見銀山を取り巻くダイナミックな史実が明らかになるのでは-。そんなロマンが膨らむ。

2004年8月31日 無断転載禁止