(12)龍昌寺跡

龍昌寺跡に残る参道の石段。寺域一帯は石見銀山が繁栄を謳歌(おうか)した江戸初期のたたずまいを今に伝える=大田市大森町
 栄枯盛衰見守った寺域
 深緑の木立の間でウグイスの声が響き渡る大田市大森町の龍昌寺跡。銀山川に面した門から96段の石段を登ると、境内に至る。静けさと木漏れ日が心地よい。本堂などの建物は失われたものの、約400年前に建立された江戸時代初期の雰囲気を今もとどめる。

 曹洞宗の玉峰山・龍昌寺。その歴史は、石見銀山の栄枯盛衰とともにあった。戦国武将による銀山争奪戦の要となった山吹城内にあり、銀山がシルバーラッシュに包まれた慶長九(1604)年に移設。「銀山百カ寺」とたたえられた中でも隆盛を極め、歴代石見代官の菩提(ぼだい)寺として格式を誇った。

 裏山の墓所に足を運ぶと、倒れたいくつもの宝篋(ほうきょう)印塔がコケの中に埋もれていた。島根県教委が行った石造物調査の結果、寺域から石見銀山遺跡で最も古い元亀3(1572)年の銘を持つ墓石が発見された。戦国時代後期から死者を弔う格別の場だったことが分かる。

 「石見銀山は17世紀半ばを過ぎた寛永年間から銀生産が減り、衰退に向かった中、龍昌寺では銀山再生の祈りがささげられた」。石見銀山資料館学芸員の仲野義文さん(40)が教えてくれた。

 同寺に残る嘉永2(1849)年に立てられた「銀山大盛祈願道場碑」。祈願が行われたのは、鉱山の神を祭る佐毘売山(さひめやま)神社と龍昌寺、観世音寺のみ。毎年正月20日、龍昌寺の境内に大般若経の読経がこだまし、シルバーラッシュの再来を夢見る人々が手を合わせた。

 しかし、その願いはかなうことなく、寺域は杉木立に包まれた。参道の石段脇にある不動明王の石像や首が落ちた地蔵が往時の面影をしのばせる。樹間を一陣の涼風が吹き抜けた時、銀山に生きた人々の喜怒哀楽に触れた思いがした。

2005年6月21日 無断転載禁止