出雲市立浜山中学校 多久和祥司教諭の実践

 被災者に 心を寄せる 短歌詠み 島根の地より 届け真心
  短歌づくりから中越震災支援へ

 昨年秋、新潟中越地震が起きてから10日後、出雲市立浜山中学校で新聞を活用して被災した現地の人々に心を寄せる実践が始まった。1年生から3年生にまたがる5クラスで、新聞を読んで被災地の様子を知り、被災者の気持ちを考える短歌づくりが行われた。この学習は生徒の被災地への関心を高め、募金活動やぞうきんを作って新潟へ送るという活動へ発展していった。この取り組みを紹介する。

 1時間目 言葉さがし
「人権」に関係するニュースを新聞から探す浜山中3年生
 地震直後から10日間の新聞4紙を取り寄せ、記事を読んで、被災地の様子や被災者の気持ちを想像させる言葉をさがした。そして、選んだ言葉から被災者のどんな気持ちが伝わってくるか書いた。

 ☆ぼんやり☆
 何もなくなってしまった廃虚の中でみんな一度はその光景を見てぼんやりする。そして、なぜこんなことに、どうしてこの町が…?と思うだろう。(浅田 夏希)

 ☆鳥 肌☆
 寒くて鳥肌がたったり、こわくてふるえたり。思い出すだけで怖い。けれど、生きていることを実感してよけい震えを覚える。(杉原 成美)

 ☆暗 黒☆
 地震のために自分の家も住処も失い、この先どうなるかわからない人々の暗黒な気持ちが浮かんでくる。(安田 昌平)

 2時間目 短歌づくり
 新聞を読んで現地のイメージをふくらませた後、生徒らは被災者の気持ちを想像する短歌をつくった。

避難場所手を伸ばしたらすぐそこに不安を支える枕  草巻 仁美
父なみだ生きる道ありキラキラと光る未来に向かってほしい  藤江 昂勲
始めようみんなができるボランティア失ったものを取り返そうよ  藤山 真梨子
絶望のふちに追われる我救う希望の光子どもの笑顔  伊藤 千怜
なぜなんだろうどうして私が犠牲者にいつまで続く悪夢の日々は  小松 瞳

 3時間目 友だちの鑑賞
 3時間目は、友だちがつくった短歌を読んで、気に入った作品を選び、鑑賞文を書いた。鑑賞文を書くことで、友だちの作品を読み深め、被災地の現実に近づくことがねらいだ。
    ◇
失った肉親思い泣き叫ぶ二度と戻らぬ優しき笑顔  古川 瑞紀
 私がこの歌を選んだ理由は「二度と戻らぬ優しき笑顔」というところに心が動いたからです。地震で家族を失ってしまって、いつも近くにあったあのやさしい笑顔を見たくても見ることができない。二度とあの笑顔が戻って来ないというのが、すごくその通りだなあと思いました。(西村美弥子)
    ◇
ちがう地でテレビの中の景色見て何か力になればいいがと  川井 美穂
 私がこの歌を選んだ理由は「何か力になればいい」という言葉に共感をおぼえたからだ。テレビを見て「力になりたい!」と思う私。だが、実際には被害者のことを思うことしかできない。同じ人間が毎日おびえる日々を送っているのに私は何をしたらいいのか。そう考える気持ちと同時に無力感も覚える。(杉原成美)

 遠方の出来事も関心持つ学習を 多久和祥司教諭
 実践をリードした多久和祥司教諭は実践を振り返って次のように語った。

 ニューヨークで起きたテロもイラク戦争も日本とは無縁ではありません。どうしたら、子どもたちが遠いところで起きる事件に関心を持ち、つながりを感じてくれるのだろうか、そんな思いを抱きながら始めた実践でしたが、校内でどんどん広がっていったことをとてもうれしく思いました。

 遠くで起きる事件に思いをはせるためには、まず情報が必要です。テレビや新聞がおもな情報源になりますが、新潟大学の学生からの返信を読んで、メディアが伝えない一面があることも痛感しました。

 ◇生徒の感想
 自分のこととしてニュース受け止めた  住居 航君

 島根と新潟は決して近くはないが、みんなが真剣に自分のことのように中越地震を受け止めているのがすばらしいと思った。
 世界では、もっといろいろなことが起きている。イラク戦争、内乱、自然災害、そういうところにも目を向けないといけないと思った。

 中越地震を体験 新潟大生からの返信
  住民の強い団結力に驚き 懸命に生き抜く方法探る

 実践者の一人、多久和祥司教諭が新潟の知人に生徒作品を送ったところ、知人の手によって新潟大学の学生に「新聞の言葉から想像したこと」が紹介され、それに対し、新潟大学の学生から約40通の返信が届いた。生徒の心に残った2通の便りを紹介する。
   ◇
 長岡でボランティアに入ったが、地震があっても近所の住人たちの団結力、家族の団結力が強く、驚いた。ただ、待っているだけではない。自分たちの家をどうにかしたいと、働く人々で活気があった。死や恐怖だけが地震のすべてではないことを知ってほしい。
   ◇
 私も地震当日、現地にいた。「死」と言う言葉に対しては自分も周りの人も少し違った考え方をしていたと思う。確かにまわりで亡くなった人もいて、自分もいつ死ぬかわからない。でも、だからこそ、死なないために今何をすべきかを考えて、みんな必死で動いていた。あのとき、本当に死ぬかと思ったが、まわりも自分も、次に強い地震がきたとしても生き延びる確率を上げる方法だけを考えて動いていた。
 いつ死ぬか分からないから怖いのではなく、いつ死ぬか分からないから確実に今を生きるという強さの方を現地で強く感じました。

2005年6月30日 無断転載禁止

こども新聞