(14)旧熊谷家住宅

旧熊谷家住宅の玄関。30の間を備えた邸宅は、代官所と深くつながり天領支配の一翼を担った熊谷家の歴史を伝える=大田市大森町
 天領支配の一翼担い隆盛
 ゆったりした玄関の吹き抜け空間に立つと、4本の梁(はり)が際立つ。長さ8メートル、太さ60センチ。わざわざ曲がった松材を探して用いることで建物の耐久性が増す。ぜいたくだが、無駄がなく、江戸後期の熊谷家の隆盛をうかがわせる。

 国の重要文化財に指定されている大田市大森町の旧熊谷家住宅は、1800年代前半に建てられ、町並み保存地区で最大規模を誇る豪商の邸宅だ。木造2階建ての主屋には、30の間があり延べ160畳。5つの土蔵も並ぶ。同市の保存活用事業で8月に内部修理を終えた。

 中央奥の間のふすまには、金箔(きんぱく)を張り梅をデザインした銅製の引手金具が現存。茶室と水琴窟(すいきんくつ)を配した箱庭などからも、当主が石見銀山の代官はもとより、大名家から訪れた使者を接待した光景をほうふつさせる。

 熊谷家が財を成した秘訣(ひけつ)は、代官所から独占企業にあたる掛屋に任命され、天領支配の一翼を担ったことが大きい。手数料を取って石見銀山領内から年貢銀を徴収。銀の品位と額を確認し、大阪の幕府の銀蔵に運ぶ業務を務めた。品位が低い刎銀(はねぎん)は庄屋に突き返し、納め直させた。

 銀山経営のため、幕府から代官所に投じられた公的資金の運用も託され、浜田のたたら製鉄経営者や長州藩などの大名にも貸し付けるなど、手広く金融活動を展開。銀山経営や酒造業も営んだ。

 「熊谷家は代官所と銀山領の村々をつなぐ役目を担った。双方で起こったことが分かる立場にあった」と、島根大の小林准士助教授(35)=日本近世史=が注目する。

 同家には、19世紀初めから明治維新までの1万点を超す熊谷家文書が伝わり、小林助教授が解読に着手した。その中に事件や離婚、家の相続などをめぐるさまざまな訴訟の願書が含まれる。

 同時代、石見銀山の銀生産は衰退したものの、喜怒哀楽が交錯した住民の暮らしがあった。熊谷家文書は、銀山領に生きた人々の営みを解き明かす大いなる可能性を秘めている。

2005年8月30日 無断転載禁止