(15)ヨズクハデ 海と山の交流今も息づく

矢滝城山を望む棚田でヨズクハデづくりに汗を流すヨズクハデ保存会の会員。石見銀山遺跡の世界遺産登録に向け、保存活動も熱を帯びる=大田市温泉津町西田
 棚田を秋の涼風が吹き渡る。大田市温泉津町の西田地区。恵みの季節の風物詩として、今年も刈り取った稲を干す独特のヨズクハデが、田んぼに作られた。全国でも同地区だけに伝わる旧温泉津町の有形民俗文化財。人と自然が織りなす石見銀山遺跡を代表する文化的景観の一つだ。

 竹を三角形の塔のように組み立てる。稲束を掛けた姿が、巨大なヨズク(フクロウ)が羽を休めているように見えるため、その名が付いた。「ヨズクの里」と、集落の代名詞になっている。

 戦国時代後期、西田地区は石見銀を産出した仙の山と銀の積み出し港・温泉津を結ぶ銀山街道の宿場町として、「西田千軒」と呼ばれるほど栄えた。棚田からハデ越しに見上げると、矢滝城山(標高六三四メートル)がそびえる。戦国武将・大内氏が築いた山城が街道ににらみを利かせた。

 ヨズクハデの起源は不明だが、石見銀山遺跡調査員の多田房明さん(46)は「銀山の最盛期はもとより、古代までさかのぼる可能性がある」と推測。山間地に位置する西田のヨズクハデに、海の文化が保存されていることに注目する。

 伝説をひもとくと神代、海上を守る上津綿津美命(うわづわたつみのみこと)と上筒男命(うわづつおのみこと)が、温泉津の日祖海岸に上陸。たどり着いた西田の地が気に入り、地域の人々に漁網を干す方法を取り入れた稲ハデの作り方を教えた。材料が少なく、狭い棚田に効率的にでき、風に強い。人々は神の知恵に感謝したという。

 西田には、二柱の海神を祭る水上神社が現存。毎年二月三日になると、日祖の氏子が銀山街道を通って水上神社に詣で、日本海で採れたノリを奉納し続けている。

 ヨズクハデには、先人の営農の知恵とともに、古代から連綿と営まれた海の人々と山の人々との交流が今も息づく。


2005年10月25日 無断転載禁止