(16)井戸神社 奇しき縁に壮大なロマン

井戸神社の秋の例祭で奉納されるサツマイモ。南米から銀と一緒に地球を半周し、石見銀山領にもたらされた=大田市大森町、同神社
 紅葉が彩りを添える大田市大森町の井戸神社で11月26日、秋の収穫を祝う「井戸さん祭り」が営まれた。神職が本殿にサツマイモを奉納。江戸中期の享保17(1732)年、大飢饉(ききん)が石見国を襲った際、薩摩からサツマイモを導入して領民を飢饉から救った石見代官・井戸平左衛門の遺徳をしのんだ。

 祭りでは、邇摩高校の生徒が育てた芋も供えられた。井戸公が当時、普及に努めたとされる「花魁(おいらん)」と「源氏」の2品種。幾度もの飢饉で領民の命を支え続けた代官芋が270年の時を超え、初めて同神社に納められた。

 しかし、サツマイモの世界史をひもとくと、驚くべき史実が浮き彫りになる。小学校教頭で世界遺産をめざす会理事の多田房明さん(47)=大田市仁摩町=が「サツマイモは石見銀山領に来るべくして来た」と解説する。

 謎解きのキーワードは「銀」だ。サツマイモの原産地は南米。大航海時代の1545年、スペイン人が南米でポトシ銀山(ボリビア)の開発に成功する。

 石見銀山の開発はそれをさかのぼる1526年。銀製錬のハイテク・灰吹き法の導入で大増産された石見銀は、日本と中国間の国際貿易に利用され、絹や陶磁器の交易をめぐりポルトガル人も参入。

 これに対し、スペインも中国貿易に加わるため、南米から太平洋を越え、マニラまでポトシの銀を運ぶ銀の道を形成。この道に乗ってサツマイモが東アジアに姿を見せ、マニラから中国、琉球、薩摩を経て石見に至った。

 当時、大海原を越えた船乗りの恐怖はビタミン不足で生じる壊血病だった。スペイン人はサツマイモにこの病を防ぐ効能を見いだし、船内でも保存できる優れた航海食として活用。琉球や石見などでは、やせた土地にも恵みをもたらす救荒作物の真価を発揮、日本海を行き交う北前船の保存食にも用いられた。

 航海者の命を支えながら銀とともに地球を半周したサツマイモ。16世紀前半、世界の二大銀山だった石見とポトシを結ぶ奇(く)しき縁に、世界史の壮大なロマンを感じずにはいられない。

2005年12月27日 無断転載禁止