最古の石見国図を発見

石見国図に描かれた石見銀山や山吹城など=宮城県図書館所蔵
 戦国末期の一五九〇(天正十八)年ごろ、戦国武将の毛利氏が作成した「石見国図」が、仙台市の宮城県図書館に所蔵されているのを、東亜大学(下関市)の川村博忠教授が発見した。最古の石見の国絵図となり、大田市の石見銀山と島根県鹿足郡の五カ所銀山の当時の隆盛ぶりを詳しく記載。今夏、世界遺産登録される石見銀山遺跡をはじめ、石見国の歴史を考える上で画期的な新資料と研究者は注目する。

 川村氏は同図書館の依頼で、国絵図など、五十点を調査した際、縦七十九センチ、横一・七メートルの石見国図を発見。豊臣政権下に、毛利氏が領国の石見国を検地した際、国内全村を掌握する必要から作成したとみられる。

 石見銀山は同国東部に大きく描かれ、「銀山」「せんの山」(仙の山)と記載。山の斜面には、坑道入り口を表す△印が多くあり、要害山山頂には、三層の天守を持つ「山吹城」を描写した。

 さらに、周辺には多くの家並みが描かれ、従来、最古の石見国絵図とされた江戸初期の「元和年間石見国絵図」より、鉱山集落の繁栄ぶりをにぎやかに表現している。

 同絵図に見られる銀山全体を柵で囲い、道筋の出入りを監視する番所はない。

 一方、現在の鹿足郡に当たる同国西部には、五カ所銀山を石見銀山に次ぐ規模で描写。五カ所銀山周辺にある、採掘に従事した銀山衆らで活況を呈した家並みは、生産量の大きさを物語った。

 川村氏(歴史地理学)は「江戸時代以前に(日本の)各諸国の全体を描いた絵図は、国内で見つかっておらず、驚いた。村々が区画され、研究を進めると興味深いことが分かると思う」と強調。

 石見銀山資料館の仲野義文学芸員は「戦国期の様相を含む画期的な資料。江戸幕府が石見銀山を支配し、管理を強める前の姿がうかがえる」と話す。


 解説・石見国全体の開発示す

 石見国図は、戦国後期の早い時期から、石見の国全体で銀山開発が進められた実像を示す、極めて貴重な資料となる。

 五カ所銀山周辺に、江戸期の絵図に表れない「小野の銀山」を取り上げ、「今はすたる」と注記していることが象徴的だ。

 現在の益田市に「津も(都茂)の銀山」、島根県邑南町に「くき(久喜)銀山」も記載。博多の豪商・神屋寿禎(かみやじゅてい)が一五二六年、石見銀山開発に成功後、鉱山師が石見国内で銀鉱脈を次々と掘り当て、繁栄した歴史をほうふつさせる。

 その様相は、ポルトガル人が作った日本図の中で、「いくつもの銀鉱山がある王国」とした石見国の表記とも一致する。

 また、毛利氏が水軍を置いた同県温泉津町にある「うの丸古城」(鵜丸城)の山頂に柵列を描き、戦国期の名残を伝えるなど、古城の新たな研究への貢献も期待される。

2007年1月20日 無断転載禁止