(25)石見城跡 天然の要害に拠点築く

16世紀、天然の要害・竜厳山に築かれた石見城跡。石見銀山に至る街道沿いを押さえ、重要な軍事拠点の役割を担った=大田市仁摩町
 牙をむく獅子のような奇岩や盾の形をした巨岩がそびえる。岩の絶壁全面に絡みつく樹木のつるは血管のようだ。大田市仁摩町の石見城は、天然の要害・竜厳山(りゅうがんざん、標高一五三メートル)の岩山山頂部を利用し、十六世紀に築かれた。周防の戦国武将・大内氏の邇摩郡支配との関連で注目される。

 ふもとの県道に立つと南に、戦国時代後期から銀が採掘された仙の山(大田市大森町、標高五三七メートル)が見える。戦国武将が銀山の領有を争った同時代、石見城が、仁万港から上陸し街道沿いに銀山へ侵攻しようとした敵兵に、にらみを利かせた機能をほうふつさせる。

 「石見城を含む仁摩町の付近一帯は、政治的に極めて重要な場所だったことは間違いない」

 石見銀山資料館の仲野義文学芸員(41)が注目する。

 石見城のふもとには、大内氏が石見国守護になった永正十四(一五一七)年に建立した石見八幡宮が位置する。発掘調査の結果、仁摩サンドミュージアムと仁摩町健康公園がある丘陵上で中世の館が発見され、大内氏が邇摩郡を支配した拠点施設とみられる。

 石見銀山の本格的な開発は大永六(一五二六)年、博多の神谷寿禎による銀山発見から始まった。寿禎も大内氏の領国の豪商であり、大内氏は、西国の武将ながら邇摩郡の飛び地支配を一度も手放さず、石見銀を使って中国貿易を手がけた。

 石見城は、山頂付近に主郭や土塁などが築かれ、深さが五メートルを超す堀も造られていた。狭いながらも、丁寧に築かれた山城だったことが分かる。

 絶壁をはい上がるノウゼンカズラ(大田市天然記念物)が陽光に照らされ、緑が映える。石見城は、大内氏が石見銀山への足がかりとなる仁摩の要衝を押さえ、初期の銀山開発が急速に発展する基礎を築いた歴史を想起させる。


2007年2月6日 無断転載禁止