往時しのばす建造物群 岩盤と闘った湯の町

【内藤家屋敷】温泉津地区ではもっとも大きな屋敷で、温泉宿や寺社とともに温泉津の町並みのシンボル的存在。庭には戦国時代に温泉津港が国際貿易港だった証しといわれる朝鮮灯籠(とうろう)もある
【温泉街】昔ながらの温泉街のたたずまいを残す温泉津町の通り。正面の建物は1919(大正8)年に建設された大正ロマンをほうふつさせる薬師湯旧館=写真はいずれも大田市温泉津町
【石窟墓】温泉津の寺院の墓には岩盤を削って洞窟(どうくつ)状にした中に墓石を置いた墓が多数ある。写真は西念寺
【龍御前神社】石見銀山の全盛期、温泉津港に頻繁に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた。社殿には海上安全を祈願した船絵馬が多数奉納されている。山の中腹に見える奥の院の背後には大きな岩が社殿に覆いかぶさるように露出。下から眺めると、まさに龍が口を開いてのみ込もうとしているようだ
【元湯】温泉津の地名のもとになったといわれる。泉源からわき出した温泉を無理なく引く構造で、浴場は道路面より1メートルほど低くつくられているのが特徴。1300年の歴史を誇る
【壁は岩盤】岩盤をそのまま壁に利用した浴場。町内には岩盤を削った洞窟(どうくつ)のような浴場や倉庫もある。写真は旅館ますや
【薬師湯】1872(明治5)年の浜田沖地震でわき出した。そのため「新湯」「震湯」ともいわれている。湯船を覆う茶褐色の湯の花が温泉通をうならせる
【廟(びょう)式墓地】温泉津では恵■(王ヘンに光)寺だけに残る廻船問屋の廟式墓地。数多くの墓標が一つ屋根の下に並ぶ廟式墓地は、中国や沖縄など南方系の習俗といわれている
【岩盤の古道】西念寺脇に残る沖泊まで続く旧道。岩盤を削り出してつくった道は脇の水路まで一体の岩盤でできている。海岸沿いに道ができるまでは村人たちの重要な道だった
 大田市温泉津町といえば港と温泉の街として知られる。街は中世末期、ソーマ銀(石見銀)の積み出し港として石見銀山の開発、繁栄とともに発展してきた。戦国時代には毛利水軍、江戸時代から明治かけては北前船の寄港地として栄えた。

 街を歩くと屋敷や町家、旅館、寺社など、往時をしのばせる多様な建造物群が今なお数多く残っている。さらに街は岩盤を削ってつくったとされ、温泉、道、墓など、至る所で岩盤と闘った住民たちの痕跡を見ることができる。

 そんな貴重な町並みを後世に残すため、温泉津町は二〇〇四(平成十六)年に国の伝統的建造物群保存地区(三三・七ヘクタール)に選定された。

 大森の町並みとともに世界遺産・石見銀山遺跡を構成する温泉津だが、街が見せる表情は大きく異なる。今回はそんな知られざる一面も含めて温泉津の街を紹介する。

2007年9月18日 無断転載禁止