久喜・大林銀山ウオーク 坑道入り口や精錬所跡巡り

地元の保全委員会が坑道入り口を修復した間歩を見学する参加者たち
 戦国時代から銀を産出し、江戸時代は天領として栄えた邑南町の久喜・大林銀山ウオーキングが17日、現地であった。地元の出羽地域をはじめ邑智郡内から参加した約80人が、久喜銀山と大林銀山のコースに分かれて間歩や精錬所の跡などを歩き、往事に思いをはせた。

 両銀山は戦国時代には大森銀山と同様に支配権争奪戦が繰り広げられ、毛利氏が支配。江戸時代は石見国の銀山の総称としての石見銀山の一角を占め、天領だった。

 明治時代には銀や鉛を精錬し最盛期を迎えたが、その後、廃鉱に。第2次大戦後、再び銅や鉛を採掘したが、価格暴落により閉山した。

 石見銀山遺跡(大田市)の世界遺産登録後、両銀山跡を訪れる人が増えたため、地元の久喜、大林地区の住民有志が久喜・大林鉱山保全委員会(森脇政晴委員長)を結成。10月、久喜の道路沿いにある間歩の坑道入り口に支柱を立て、トロッコのレールも掘り起こすなど修復作業をし、坑道内は立ち入り禁止だが入り口付近は見学可能になった。

 ウオーキングは、貴重な文化遺産を地元住民に知ってもらおう、と出羽公民館などが企画。2コースに分かれた参加者は間歩や精錬所跡、精錬時の鉱さいを積み重ねたカラミ原、銀山の守り神である山神社などを見学した。久喜銀山コースで説明に当たった岸忠良さん(64)は「銀山跡の見学者用に順次、整備していきたい」と話した。

2007年11月18日 無断転載禁止