温泉津沖泊道 街道のにぎわいしのぶ

【降路坂】 温泉津沖泊道最大の難所。川を渡りうっそうと茂る杉林の中をうねるように続く山道を峠まで一気に登る=午前11時40分
港結ぶ動脈 面影随所に

 16世紀前半、銀をめぐって石見銀山の争奪戦が繰り返された。1562(永禄5)年、毛利氏が山吹城を攻め落とし、銀山を手に入れた。灰吹法の導入で飛躍的に伸びた銀の積み出し港は、鞆ケ浦(ともがうら)から温泉津へと代わっていった。

 銀山までの距離は長くなったが、水深が深くて大きな港は季節風の影響も受けにくく、さらに水にも恵まれた。温泉津は毛利の重要拠点として繁栄し、並行して整備された銀山街道は、現在では想像できないほどのにぎわいをみせた。

 今回の温泉津沖泊道は3コースある銀山街道で一番の人気コース。午前10時17分、60人が4班に分かれて銀山公園を出発。遊歩道を通って同11時すぎ、坂根口番所跡に着いた。ここから温泉津沖泊街道になる。沖泊まで10.6キロ。終着点の沖泊には午後4時すぎに到着した。

 途中、山吹城跡がある要害山や仙ノ山、真っ青な日本海などを眺めながらの山歩きは最高のトレッキングコースといったところだ。街道の歴史を少し予習して出かけると楽しいこと請け合いだ。


【大谷六地蔵】
坂根口番所跡近く、道を少し外れた所に首がない7体のお地蔵さんがある。廃仏棄釈で首を切られたといわれている=午前11時25分
 
【降路坂の茶店跡】
標高429・1メートル。1940年代まで茶店があったという。「あとは下りだけ」の言葉に励まされて出発する=午後0時17分
 
【降路坂の題目塔】
谷川を挟んで対岸、旧道沿いにある。うっかりしていると見過ごしてしまう。「貞享三(1686年)丙寅十月日連乗」と刻まれている=午後0時39分
 
【火伏観音】
昔、西田の集落で火災が起きたとき、この観音様がコウモリに化けて火を消したという言い伝えがある=午後1時17分
 
【ヨズクハデ】
秋の風物詩、西田のヨズクハデ。稲ハデの姿がフクロウに似ていることからこの名前が付いた。ここで少し遅い昼食=午後1時20分
 
【将棋岩】
街道を往来した馬子たちが平らな巨石の上で将棋を指したという。周辺には天文8(1589)年の山津波で堂床山から流出したおびただしい数の巨石がある=午後2時25分
 
【清水の金柄杓】
堂床山からのわき水を飲んだ大森代官がおいしさに感動、当時高価だった金属製の柄杓(ひしゃく)を奉納したと伝えられる=午後2時44分
 
【松山の階段道】
当時の面影がよく残っており、絵になる風景。コケむした石と落ち葉がハイキング気分を盛り上げてくれる=午後3時5分
 
【沖泊】
船のもやい綱を結んだ鼻ぐり岩が多数残り、天然の良港だった当時の様子を知ることができる=午後4時5分
 

2007年11月27日 無断転載禁止