銀山街道・尾道道 安全な銀輸送の新陸路

 最高の眺望 やなしお道の特徴は眺めがよいこと。中でもこの茶縁原から七本槙までの間はお薦めの場所で、三瓶山を眺めながらのトレッキングは気分を爽快(そうかい)にしてくれる=島根県美郷町茶縁原
 関ケ原の合戦後、徳川家康が天下を統一、石見銀山は徳川幕府の直轄領(天領)になった。1601年、銀山の初代代官に着任した大久保長安は、安全な陸路でより大量の石見銀を運ぶため新たに尾道道を開発し、尾道港から瀬戸内海を経由するルートを確立した。

 石見銀山から尾道まで130キロ。日程は3泊4日。九日市宿(島根県美郷町)、三次宿(広島県三次市)、甲山宿(広島県世羅町)に宿泊した。記録によれば牛馬280頭、人足400人。銀の輸送ルートになった沿道の村々には、馬の貸し出しや人手の提供などの助郷(すけごう)の賦役が課せられた。

 1610年代に出来上がった銀山街道・尾道道は、現在に至るまで生活道として利用されているところも多く、今も歴史を刻み続けている。

 これまで、大田市などが企画した銀山ウオークで「鞆ケ浦(ともがうら)道」と「沖泊温泉津道」、尾道道の一部「やなしお道」の3コースを取材してきた。

 しかし、なぜか達成感がなく、消化不良のような思いだった。その理由がやなしお道が中途、美郷町で終わったからだと分かったとき、終着地点の尾道まで行くことを決めた。赤名峠を歩いて越え、尾道の積み出し港も見てみたい。

 最後に参加した銀山ウオークは「銀の道を歩く会」(西本俊司会長)が企画した江戸時代と同じ3泊4日の日程で、同じ宿場町に泊まって銀の道を堪能しようという企画。行程はバスに乗り、細切れの踏破であったが、何とか欲求不満を解消できた。

 尾道道の見どころはマイカー利用で楽しめるところが多いこと。文学の道としても知られる赤名峠は未舗装だが、峠まで車で行ける。昔はボンネットバスも走っていた。宿場町とその周辺の街道は現在でも見どころが集約されている。インターネットで事前に調べ、イラストマップを片手に巡るとよい。赤名宿(飯南町)では楽しいイラストマップ(500円)を作っている。

【やなしお坂】
尾道道の中で一番の難所で標高約280メートルの峠越えをする。日本海の魚や塩を運ぶルートでもあり、地元では八名塩道と呼んでいる。区間は約6・5キロ。国の歴史の道百選にも指定され、一部は中国自然歩道にもなっている=島根県美郷町
 
【箱茂(はこも)のお松】
銀の道はここから邑智郡に入る。昔は海からも見ることができたという大きな松。現在の松は2代目といわれている=島根県美郷町小松地
 
【レールの柱】
バスの車庫にあったレールを利用した柱には「KRUPP 1902.12.K.T.K」の文字(下)。1902年12月にドイツのクルップ社が製造したもので、関西鉄道か九州鉄道が使用していたものを再利用した。銀山とは関係ないが町のお宝発見だった=島根県飯南町赤名
 
【古民家】
江戸時代の建築様式を残し、飯南町の銀山街道のシンボル。古道沿いに建ち、今年8月に修復された=島根県飯南町下赤名
 
【赤名峠】
標高680メートル。島根県側の峠で飯南町の郷土史家で銀山街道応援団長をしている中村三四二さん(右)の話を聞く。万葉の昔から出雲と備後を結ぶ重要幹線道として知られる一方、文学の道でもある。幾度も峠越えをした万葉の歌聖柿本人麻呂をしのんで斉藤茂吉や中村憲吉らが歌を詠んでいる=島根県飯南町上赤名
 
【赤名の道標】
1856年に建立された道標。「左ハ石州さけ谷 大田・・、右ハとん原まつ江・・」と記され、銀山街道は赤名で出雲街道と合流する=島根県飯南町赤名
 
【尾道の本陣跡】
今でも立派な礎石が残る。銀の保管蔵もあったといわれ、昔は間近まで海が迫っており銀もここから積み出された可能性があるといわれている=尾道市久保1丁目
 
【尾道港と住吉神社】
昔は住吉浜と呼ばれ、埋め立てや港の改修が進み、後に銀の積み出し港になったといわれている。背景に建つのが住吉神社で銀を積んだ船の船乗りたちもここで航海の安全を祈願した=尾道市土堂2丁目
 


2007年12月17日 無断転載禁止