石見銀山地下に8巨大空間

藤田組が測量し、仙ノ山地下の坑道や銀採掘の場所を示す平面図。山の上から見た図となり、緑色の部分が福石場
 昨夏に世界遺産に登録された大田市の石見銀山遺跡の核を成す仙ノ山の福石鉱床の地下に、銀を採掘した跡の空間が八カ所あり、このうち「巨大ホール」とも言うべき大規模空間は東西方向で一直線に並ぶことが、研究者の調査で分かった。江戸時代から科学的な根拠に基づいて採掘されていたことを示す貴重な研究成果として注目される。

 調査したのは、島根県立三瓶自然館の中村唯史学芸員(39)。一八九六年に採掘権を持っていた藤田組(現DOWAホールディングス)が江戸期に掘られた地下坑道や銀の採掘場所を測量した坑内実測図を活用し、初めて解明にあたった。

 主要な坑道の位置を記した三次元コンピューターグラフィックスを作成する過程で、自然銀を多く含み「福石場」と呼ばれた地下の大空間が八カ所あることを確認。最大規模は大久保間歩の福石場で、高さ十メートル、長さ二十五メートル、幅十メートルに及ぶ。

 石見銀山遺跡の地下構造はこれまでほとんど解明されておらず、巨大ホールについても大久保間歩に一カ所あることが、限られた研究者らによって確認されている程度だった。

 さらに、中村学芸員によると、福石場に向け真っすぐに水平坑道が掘られており、江戸時代の段階で銀が最も豊かな場所として認識する科学の目があったとともに、地下で正確な測量がなされたことを示すという。

 規模が大きい福石場三カ所と、西側に二キロ離れた永久鉱床の主な鉱脈が一直線に並ぶことも判明。約百万年前に地下でのマグマ活動で銀を含む熱水が上昇し、直線の位置にある断層が通り道となって両鉱床ができた形成メカニズムを解明した。

 仙ノ山は、福石と永久の二鉱床を備え、福石は山頂付近の石銀(いしがね)などで自然銀が露頭し、戦国時代後期から最初に開発された。永久鉱床は、仙ノ山西側の地表から海水準下二百五十メートルまで分布し、銅鉱物を多く含む。

 中村学芸員は「地下に巨大な空間が存在するのには驚いた。福石鉱床の特徴と豊かさの証しであり、江戸時代、想像以上に緻密(ちみつ)な技術で銀鉱石が採掘されたことが興味深い」と話している。

2008年1月1日 無断転載禁止