江戸後期の大森は「茶屋並ぶ町場」 大田・石見銀山学講座

島根大学の小林准士准教授の講演を聴講する大田市民ら
 世界遺産に登録された石見銀山遺跡を多角的に学ぶ石見銀山学講座が二十六日、大田市大森町の石見銀山世界遺産センターであった。島根大学の小林准士准教授(歴史学)が、江戸時代後期の大森は娯楽施設が立ち並ぶ町場の性格を持っていたなどの新たな研究成果を報告し、市民ら八十人が熱心に聞き入った。

 遺跡を守りながら地域をはぐくむために、官民一体でつくる石見銀山協働会議が主催した。

 小林准教授は、石見銀山の豪商・熊谷家の古文書調査を基に江戸後期の大森町と代官所について講演。町並み保存地区の範囲に二百七十軒の家があり、一八二二(文政五)年には一割の二十七軒が、男女が夜更けまで料理や酒を楽しみ遊んだ茶屋だったと解説。

 牛馬市や周辺の村々から商品を集めた羅漢市が開かれた際には相撲や浄瑠璃芝居の興行があり「芸能集団が人々を楽しませ、にぎわった」と述べた。

 長久小学校の多田房明教頭は、民俗学の視点で同遺跡周辺の無形文化財を紹介。石見銀山が栄えた戦国後期から、大代町に伝わる小笠原流田植えばやしは全国的にも貴重で、馬路の琴ケ浜の盆踊りには井戸が少なく水の確保に苦労した鞆ケ浦の自然や、女性が弓ケ浜半島に綿摘みの出稼ぎに行った歴史などが反映されていることを披露。

 「この地域は文化を守ろうとする意識が高く、優れた伝統文化を継承するには地域の素晴らしさを知ることから始まる」と説いた。

2008年1月27日 無断転載禁止