(7)松江を開いた堀尾氏・其の七 家老屋敷跡を掘る

出土品
 前列右から景徳鎮(中国)、伊万里焼、志野焼(2個)、■(サンズイに章)州(しょうしゅう)窯(中国)の皿や椀(わん)の破片。左端は草花が描かれた漆器のわん。2列目の大皿は伊万里。上級武士しか手に入れられなかった高価な品々が目を見張る。このほか木簡や箸(はし)、煙管(きせる)、遊玩具として使われたと思われる人形の頭も見つかった=写真はいずれも松江市殿町、家老屋敷跡の発掘調査現場
家老屋敷跡
発掘調査が進む家老屋敷跡。資料館は今年夏に着工。5300平方メートルの敷地に鉄筋コンクリート平屋、一部2階建て。総事業費39億円。2010年秋に完成予定
盛土の歴史
家老屋敷跡の地層調査から大きく分けて4回盛土したことが分かった。深さは約1・5メートル。調査員の石川崇さんが指さす黒い部分は火災に遭った痕跡という
堀尾時代の屋敷配置図
 敷地の西側は惣門橋通り、東は鹿島・美保関線。北は北堀橋北詰から大手前通りまで。堀尾時代(1617~1633年)はここに、筆頭家老堀尾采女(4000石)をはじめ11人の屋敷があった。京極時代には佐々九郎兵衛(1万石)、松平時代には乙部家(4250石)など上級家老の屋敷があった。
 松江城の築城で最大の難工事は、壕(ほり)の掘削と石垣の建設だった。壕を掘った膨大な土は、沼地や湿地帯だった城の周辺、現在の殿町や米子町、南田町などの埋め立てや造成に利用され、城下町の建設に役立てられた。

 松江市殿町の家老屋敷跡も、昔は湿地帯だった。現在、市の歴史資料館建設予定地として発掘調査が進む屋敷跡の最下層の地層には、湿地帯の名残がある。同市南田町の調査では、湿地対策に使われたウラジロが敷き詰められた層も発見された。盛土は、明治時代まで幾度も行われた。

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 現在は道路沿いに建っている塀だけが家老屋敷の面影を残すが、発掘調査では当時の様子を伝える大量の遺物が出土した。最初に目を引いたのは大量に出土した土師質土器の灯明皿。電気がなかった昔の暮らしぶりをほうふつさせる。

 陶磁器類では唐津焼や伊万里焼の肥前陶磁器が圧倒的に多い。このほか備前陶器や中国製磁器、瀬戸・美濃系陶器も出土している。家紋や絵柄が鮮明に残る朱塗りの椀(わん)などもあり、上級武士の生活の一端をうかがわせる。

 一見、武家の暮らしとはミスマッチとも思われる「げた」も大量に出土している。発掘調査は時代を追って、武家社会の暮らしぶりも徐々に明らかにしてくれる。

 3月10日、家老屋敷のシンボル的な存在で、最後まで残っていたエノキが伐採され調査の大詰めを迎えた。資料館の完成は2010(平成22)年。城下町松江に新しい観光の拠点が誕生する。


2008年3月31日 無断転載禁止