(10)荒神谷遺跡(KOUZINDANIISEKI) 古代ロマンと謎秘める

月明かりに浮かぶ荒神谷史跡公園。1カ所としては全国最多の弥生青銅器が見つかった場所は、今も昔も変わらぬ神秘的な雰囲気に包まれている=島根県斐川町神庭
銅剣の出土地点に設置されている358本のレプリカ。発見当時をほうふつとさせる
 頭上に光り輝く満天の星々。その真下に広がる谷あいには丘や竪穴住居の黒いシルエットが浮かぶ。古代出雲の人々もこのような夜景を見ながら日々、暮らしていたのだろうか。

 荒神谷遺跡が”世紀の大発見”として全国から注目を集めたのは一九八四(昭和五十九)年。弥生時代中期ごろに製作されたと考えられる三百五十八本の銅剣が一度に出土。当時、国内で出土していた銅剣はすべて合わせても三百本余りだった。

 翌年には銅剣出土場所の東側七メートルの地点から銅矛十六本、銅鐸(どうたく)六個も出土。一遺跡から銅矛と銅鐸が同時出土したのは国内初。北九州中心の銅矛文化圏と近畿中心の銅鐸文化圏はすみ分けていたという当時の定説が覆されるなど、荒神谷での発見は従来の弥生時代・青銅器研究の見直しを迫り、研究者たちに衝撃を与えた。

 多くの青銅器が出土したことで弥生時代、この地方に力を持つ大きな勢力の存在が浮き彫りになる一方、調査が進めば進むほど謎が深まるという不思議な魅力をこの地は放っている。

 出土した銅剣のうち三百四十四本には「×」印が刻まれていたが、九六(平成八)年に約三・四キロ南東に離れた雲南市加茂町の「加茂岩倉遺跡」で出土した銅鐸三十九個のうち十四個にも同じ「×」印が刻まれていた。印の意味も含め、これらの青銅器を誰が、何のためこの地に埋めたのか。それらの謎はいまだ解明されていない。

 同遺跡の青銅器調査にかかわった荒神谷博物館(斐川町神庭)の平野芳英主席学芸員(57)は「谷の神様、谷神(こくしん)のような存在へのささげものだったのでは」と推測する。同遺跡がある斐川町南部は低い山からなる谷あいが多い。山から谷あいに流れる雨水と低い山による良好な日照など弥生時代から稲作に適した環境が整っていたとみられる。

 やがて、稲作を基盤に経済的に発展した集団は日本海での交易にも携わり、北九州や近畿などから伝わった青銅器などを地元の谷神にささげ、さらなる豊穣(ほうじょう)を祈ったと考える。

 一方、儀式に使う銅剣がなぜ三百五十八本も必要だったのか不思議な点も挙げ、「謎に満ちていることこそがこの地の魅力」と話す。

 「神庭」という名を持つこの地は、今も古代のロマンと謎を秘め、星空の下に静かにたたずむ。

 (写真・本社報道部 小滝達也 文・同 堀江純一郎)


 荒神谷遺跡 1983(昭和58)年に広域農道建設にともなう発掘調査で発見された遺跡。87(同62)年、国の史跡に指定された。地元斐川町が中心となり95(平成7)年に遺跡一帯を「荒神谷史跡公園」として整備。98(同10)年には出土した銅剣、銅矛、銅鐸が一括して国宝に指定された。2005(同17)年、公園内に「荒神谷博物館」が開館した。

2008年7月21日 無断転載禁止