(12)石見根付(IWAMINETUKE)手のひらに収まる小宇宙

イノシシの牙を素材に、ナマズにアマガエルが飛びついた一瞬を表現した「或る日の出来事」。つややかな光沢に描き出された巧みな造形が絶妙だ
「石見根付の作風、技術を継承することで、先人が残した芸術性を知ってもらいたい」と話す田中俊■(目ヘンに希)さん=江津市嘉久志町、自宅アトリエ
 今にも動きだしそうなカエルやクモ、カニなどの小動物。手のひらに収まる小宇宙に展開される石見根付の写実性は、まさに「精緻(せいち)」と呼ぶにふさわしい造形感覚と高度な制作技術に裏打ちされている。

 根付は、江戸時代に印籠(いんろう)やたばこ入れなどを、着物の帯からひもでつるして持ち歩く際に用いた留め具。材質は、黒檀(こくたん)などの堅い木、象牙が多い。江戸初期は簡素な意匠だったが、中期以降は細かな彫刻が施された美術品となった。

 ブームとなった中期に、「石見の左甚五郎」と称される根付の名工がいた。現在の江津市嘉久志町に居を構えた初代・清水巌(いわお、本名・富春、一七三三-一八一〇年)だ。

 初代・巌を始祖とする石見根付の特徴は、身近な小動物や昆虫を図柄に、折れやすい突起部分を少なくしたデザインで、材質の多くはイノシシの牙だった。彫りと銘に浮き彫りの手法を用い、銘には制作時の年齢、制作日、場所なども刻んだ。

 明治以降、根付は洋服の普及で国内では廃れたが、欧州では美術性が評価され、コレクションの対象となった。現在は江戸時代を中心にした古根付と、昭和、平成の現代根付に大別され、故高円宮さまが熱心な収集家で知られた。山陰地方では彫刻家の田中俊■(目ヘンに希)さん(65)=江津市嘉久志町=が唯一、石見根付を継承しようと創作に当たる。

 田中さんは一九九五年、江津市を訪問された故高円宮さまの勧めで、根付の制作に本腰を入れた。「日本の象牙彫刻展」に九七年から出品。昨年の三十回記念展では、イノシシの牙を素材にせせらぎを泳ぐヤマメにカエルが飛び乗った瞬間を表現した「渓流」が高く評価され、最高の高円宮賞を受賞した。

 田中さんは、三カ月かけて一つの作品を作る。素材はイノシシの牙、象牙やカバの歯、黒サンゴ、堅い木などさまざまだ。中でも、石見根付の象徴としてのイノシシの牙は田中さんにとっても特別な意味がある。故高円宮さまの「あなたは石見人だからイノシシの牙で彫りなさい」の言葉があるからだ。

 石見の風土がはぐくんだ至高の美術品とも言える石見根付。個性豊かなフォルムは、見る者の心を揺さぶり続ける。

 石見根付 根付は一般的に材質は堅い木や象牙が多いが、「石見派」と呼ばれる石見地方の根付は、イノシシの牙が代表的な素材。初代・清水巌や娘の文章女(ぶんしょうじょ、2代目・巌)、孫の巌水(がんすい、3代目・巌)と、その一門が手掛けた作品は、優れた芸術性から海外でコレクションの対象となり、多くの秀作が散逸した。

 また、初代・巌は製陶の技術もあり、学んだ永見房造が「巌」の字をもらって永見巌と名乗り、土人形の長浜人形を広めた。

                  (写真・本社報道部 小滝達也 文・同 野村剛)

2008年9月1日 無断転載禁止