(13)妻木晩田遺跡(MUKIBANDAISEKI) 国内最大級の弥生期集落

夕暮れの妻木晩田遺跡洞ノ原から弓浜半島を望む。古代住居跡と夜景が独特な風情を漂わせる=米子市淀江町・大山町
 丘に寝転がって辺りを見渡す。目前には日本海につながる美保湾がゆったりと広がる。そばには淀江平野。遠方に目を向ければ弓浜半島から島根半島が続く。まさに山陰の絶景がそこにある。

 妻木晩田遺跡の洞ノ原地区西側丘陵。夕方、日本海に日が消えると、環壕(かんごう)で囲まれる丘をゆっくりと夜のとばりが包む。かつてこの丘に住んでいた弥生人も眺めていた夕暮れ時のこの光景は時を超え、いまも見ることができる。変わったのは星々のように輝く眼下の町の灯だ。

 遺跡の発見からことしで十三年。発見当時、それまで国内最大級と言われていた吉野ケ里遺跡(佐賀県)を大きく上回る総面積百五十二ヘクタール、東京ドーム四十個分の弥生時代の大規模遺跡の出土は全国を揺るがした。

 標高約百メートルの丘陵地帯からは四隅突出型墳丘墓や環壕、首長の居住地域、祭祀(さいし)空間など当時の集落を形成するすべての要素が一体として見つかり、弥生時代を考える上で最も重要な遺跡の一つと認識された。リゾート開発による発見を受け、地元住民や考古学関係者らによる保存運動がスタート。運動は全国に広がり、企業と行政を動かし、遺跡は残った。

 発掘調査は現在も継続していて、鉄器の出土数は三百九十七点と山陰随一。生産活動の拠点跡も認められたことから高い技術を背景にした大規模集落遺跡として、当時のムラの生活を伝えるとともに国家形成を始める古墳時代の前史となる弥生後期の社会を考える上での貴重な事例になっている。

 丘のにぎわいは今も続く。鳥取県教委の妻木晩田遺跡事務所などが年数回開催する古代イベントでは、弥生人がしていた古代米の脱穀体験などが行われ、多くの家族連れが参加する。保存が決まった後も、民間の立場から遺跡の保護・活用に取り組む地元団体がボランティアガイド養成などに取り組み、保存方法を学ぶため韓国の考古学研究者らが訪問する。

 古代の淀江、現在の淀江平野には日本海とつながる淡水湖の淀江潟があり、港として栄えた。同遺跡背後の孝霊山(標高七五一メートル)を目印に、出雲や遠くは九州、朝鮮半島などから船が訪れ、交易と交流でこの地はにぎわったと想像できる。

 「夕暮れ時の光景にはいつも見とれてしまう」と同事務所の松井潔調査整備係長。クリの木など弥生時代の植生が残る丘の自然は、来訪者が弥生時代の光景を思い浮かべやすい点を挙げて、「県外からのリピーターも多い。何か人を引きつける力があるのでは」と話す。

 悠久の古代から現代まで。この広大な丘は人を引きつける魅惑の土地であり続けている。


 妻木晩田遺跡 国内最大級の弥生時代後期(1-2世紀)の集落遺跡。ゴルフ場建設の事前調査のため、1995(平成7)年から約3年間かけた調査で大規模な集落跡が判明し、リゾート開発を中止して全面保存。99(同11)年には国の史跡に指定された。2000(同12)年から継続的に調査を進めており、現在まで竪穴住居433基、掘立柱建物跡509基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)34基、環壕などが確認されている。

2008年9月16日 無断転載禁止