(15)雲州そろばん 珠運び円滑良質の証し

細心の注意を払いながら製造される雲州そろばん。機械化が進む中でも、最終的には職人の手作業で仕上げる=島根県奥出雲町横田、雲州そろばん協業組合・そろばんと工芸の館
雲州そろばんの祖・村上吉五郎が手本とした「芸州住塩屋小八作」のそろばん=島根県奥出雲町横田、雲州そろばん伝統産業会館蔵
 「質の雲州」と評される雲州そろばん(算盤)。そろばんの命は「珠(たま)」にあると言われるが、ツゲやオノオレカンバなどの厳選された素材を使い、細心の注意を払いながら仕上げる雲州そろばんは、スムーズな珠運びと「パチ、パチ」とはじく、高く、冴(さ)えた音が、良質なそろばんとしての誇りを使う人に伝える。

 雲州そろばんは、江戸末期の天保三(一八三二)年に亀嵩(島根県奥出雲町亀嵩)の大工、村上吉五郎(一七八七-一八七六年)が、庄屋の家にあった「芸州(広島)塩屋小八作」のそろばんを修理したのがきっかけで、そろばんの製造を手掛けた。ただ、吉五郎は個人として製造していたため、技術が外部に伝わらず、地場産業にまでは発展しなかった。

 雲州そろばんは、カシやコクタンなどの堅い木を使用していた。このため、珠を削る技術などへの工夫が求められ、安政三(一八五六)年に高橋常作が足踏みロクロを、明治六(一八七三)年には村上朝吉が手回しロクロを考案し、地場産業としての地歩を固めた。

 順調に生産が進んだ雲州そろばんだったが、一九八〇年代を迎えて急速に生産量が落ち込んだ。全国の出荷額の三分の一を占める雲州そろばん協業組合の岩佐俊秀代表理事(60)は「小学校の指導要領の改訂が大きかった。二学期の半ばごろまでにあった珠算の授業が三学期に移って授業数が減り、連動して珠算塾に通う児童も減少。そろばんの需要が激減した」と指摘。銀行のオンライン化も拍車を掛けた。

 社会環境の変化で苦難の荒波に揺れるそろばん業界だが、近年、そろばんの持つ特性が見直され、需要は上向き傾向にある。「数値感覚が養え、何より集中力、忍耐力が身に付くことが証明された証拠」と、岩佐代表理事は今後に期待を込める。

 雲州そろばんは珠(玉)作り、軸作り、枠作りの順で作業を進める。雲州そろばん伝統産業会館(島根県奥出雲町横田)では、その製造工程を紹介しており、事務員の内田典子さん(55)は「そろばん作りは全部で百八十七工程もあり、ほとんどの来館者がびっくりされます」と話す。

 いくら機械化が進んでも、最終的には一つ一つの手作業で仕上げられる雲州そろばん。緻密(ちみつ)な作業の中で「質の雲州」が生まれる。


 雲州そろばん そろばんの産地は雲州そろばんと播州そろばん(兵庫県小野市)に大別され、雲州そろばんの生産額は全国シェアの70%を誇る。現在、生産に携わっているのは、1997年に5社が一緒になって設立した雲州そろばん協業組合など5業者。85年に国の伝統的工芸品の指定を受けた。94年からタイでのそろばん指導事業を進め、4000人余りの中学生がそろばんを学んでいる。

2008年10月20日 無断転載禁止