(16)雲樹寺の朝鮮鐘(UNJYUJICYOUSENSYOU) 日本最古表面に天女の舞

新羅時代に造られ、わが国最古と伝わる雲樹寺の朝鮮鐘。表面に2人の天女が施されたこの銅製の鐘は、幾多の歴史を音に刻んできたのだろう=安来市清井町、雲樹寺・開山堂
鎌倉末期から室町前期にかけての禅宗様式を伝える四脚門(大門)=安来市清井町、雲樹寺参道
 いったいどんな音を響かせていたのだろうか。南北朝時代の様相を今に残す臨済宗の古刹(こさつ)・雲樹寺(安来市清井町)には、日本最古と伝わる朝鮮鐘(国指定重要文化財)が、境内の一角にたたずむ開山堂に、ひっそりと収められている。

 雲樹寺は、奥州の出身で、宋に留学し、禅を極めて帰国した孤峰覚明禅師が、元亨二(一三二二)年に開山した。孤峰禅師は、鎌倉幕府討伐のために企てたクーデター(元弘の乱)で隠岐に流された後醍醐天皇や後村上天皇が帰依した名僧。天文十七(一五四八)年に建立された開山堂には、孤峰禅師の頂相(ちんぞう=禅僧の肖像画)を基に造った座像を中央に、両側には後醍醐天皇と後村上天皇の位牌(いはい)が並ぶ。

 朝鮮鐘は、古代から中世にかけて、朝鮮半島からわが国に伝わった。雲樹寺の朝鮮鐘は、新羅の宣徳王時代(七八〇-七八四年)のころに製造されたと推定され、鐘の表面には飛雲に舞う二人の天女が、伸びやかな姿で浮かび上がっている。言い伝えによると、応安七(一三七四)年に宗順という人物が、中海でキラキラ光るものを見つけ、引き上げると鐘だった。撞(つ)いてみたところ「うんじゅじ」と鳴ったため、雲樹寺に奉納したという。

 朝鮮鐘は伝来後、寺から寺へと売り継がれたり、時の権力者の手に渡って私物となったり、権力者から奉納されたりと、さまざまな運命をたどっている。醍醐幸司住職(52)は「現在、国内には四十余の朝鮮鐘があると聞いている。朝鮮半島との地理的な関係からか日本海側に多い」と話す。

 雲樹寺には、もう一つ著名な国指定重要文化財がある。一直線に続く松並木の参道の中ほどにある四脚門(大門)だ。鎌倉末期から室町前期の禅宗様式の手法をとどめており、文政三(一八二〇)年の火災で寺院は焼失して再建されたが、四脚門は被災を免れた。

 雲樹寺は後醍醐天皇ゆかりの寺院として、往時は堂が立ち並び、五百人を超す僧侶が居住したという。多くの僧侶や信徒らがくぐったであろう四脚門とともに、開山から約五十年後に奉納された朝鮮鐘も、時代の変遷の中で、きっと幾多の歴史を音に刻んできたに違いない。

 朝鮮鐘 朝鮮半島で、新羅時代から高麗時代にかけて鋳造された銅製の梵鐘(ぼんしょう)。上部の竜頭(りゅうず)は単頭で、旗挿しと呼ぶ円筒が付いている。肩と口辺に唐草模様を巡らし、鐘の表面には天女や菩薩(ぼさつ)などが施されている。島根県内には雲樹寺のほか、天倫寺(松江市堂形町)と光明寺(雲南市加茂町)にも現存している。

2008年11月17日 無断転載禁止