久喜・大林銀山の歴史学ぼう

久喜・大林銀山の歴史を紹介する石見銀山資料館の仲野義文館長=島根県邑南町百石、久喜多目的集会所
 江戸時代に天領・石見銀山御料の一角を成した島根県邑南町の久喜・大林銀山の歴史を学び、語り継ぐガイドボランティアの養成講座が二十五日、同町内であった。住民たちは豊臣秀吉とのかかわりや盛衰を聞き入り、「もう一つの銀山」について理解を深めた。

 地元の出羽公民館や久喜・大林銀山保全委員会などが主催。講師には大田市の石見銀山資料館の仲野義文館長(43)を招き、久喜・大林銀山に関心を持つ町民四十人が参加した。

 仲野氏は、同銀山が戦国武将・毛利元就の財政を支え、秀吉の産出銀の受取状で「新かな山」と記されたことを紹介。「たはこ」の記載がある江戸初期の古文書から「当時はたばこ屋や百五十一戸の屋敷がある豊かな地域」と解説した。

 民間経営で坑道の水抜き坑道掘削が進まず、江戸中期には六十余りの坑道の大半が稼働していない状態と盛衰を振り返りながら、遺跡の価値を強調。「モデルとして昔の姿を復元できるのではないか」と、地元の機運の高まりを期待した。

 広島県境に近い久喜・大林銀山には、石見銀山遺跡の世界遺産登録を機に県内外から歴史ファンが訪れている。保全委員会の森脇政晴会長(66)は「農業をしながらでも、案内できるようにしたい」と話した。

2009年1月25日 無断転載禁止