(19)日刀保たたら 厳冬の三昼夜炎と格闘

炉を壊し、真っ赤な■(金ヘンに母)を取り出す。大蛇が身をくねらすように火の粉が舞い上がり、まさに生命の誕生を思わせた=島根県奥出雲町大呂、日刀保たたら
 和鉄誕生の瞬間だった。

 崩された炉壁の中から姿を見せた真っ赤な鉄の塊「■(金ヘンに母)(けら)」は燃え輝き、まるで小さな太陽のようだ。厳冬の早朝にもかかわらず、作業場である高殿内の室温は真夏の陽(ひ)に直射されたようにぐんぐんと上がる。

 周囲に深い雪の跡が残る島根県奥出雲町大呂の日刀保たたら。毎年一月下旬から二月上旬まで良質の玉鋼を造るため、年二、三回の操業を行う。

 一回の操業は三昼夜。地元の真砂土(まさど)と粘土で造った舟形の炉に三十分間隔で砂鉄と木炭を入れ、約七十時間燃やし続け、三日目の早朝に人力で炉を壊す。炉から砂鉄が溶けてできる■(金ヘンに母)を取り出し、不純物などを除いて日本刀の原材料になる玉鋼を取り出す。

 「せーの、せーの」と職人たちから掛け声が上がる。いよいよ四方の炉壁を崩す。かぎ爪が付いた長い木の棒を壁の上部に引っ掛け、職人四、五人が力いっぱい炉壁を引っ張り倒す。

 すべての壁が崩されると同時に熱風が高殿内を包み、天井まで火の粉と灰が舞い上がる。灰の霧の先から真っ赤に染まる木炭に包まれた■(金ヘンに母)が全体像を現す。木炭を払いのけると、その形はオムライスのようだ。

最後の砂鉄を炉に投入する木原明村下。三昼夜に及んだ作業も大詰めを迎えた
 ■(金ヘンに母)の精製過程では、砂鉄と木炭に加え、炉の内壁から雲南真砂土が溶け出し、化学変化に加わるという。現在、科学的にその効果は解明されていないが、純度の高い玉鋼造りには欠かせない要素とも言われている。

 「三日三晩、みんなで心を一つにして造った。いい鉄になっただろう」と疲労感を浮かべながらもほっとした表情を見せる玉鋼製造の技師長である村下(むらげ)の木原明さん(73)。

 操業に携わって三十二年。炉から立ち上がる微妙な炎の色合いを読み取り、投入する砂鉄や木炭の量、鞴(ふいご)の風を調整する技は先人から代々受け継がれたものだ。

 「伝えられた技術と技巧とともに、鉄造りの心を伝えていかないといけない」と思いを話す。

 長い年月をかけて培い、伝わった技術と職人の熱い思いが今も和鉄造りの秘術をしっかり守っている。

 (写真・本社報道部 小滝達也 文・同 堀江純一郎)


 たたら製鉄 日本古来の製鉄方法。大正時代まで出雲地方でも行われていたが、洋鉄の普及とともに衰退。1933(昭和8)年から45年まで軍刀需要を受けて、現在の島根県奥出雲町大呂で「靖国たたら」として一時期操業が復活。戦後一端途絶えたが77年、文化庁後援のもとに、日本美術刀剣保存協会が同地に「日刀保たたら」として復元。現在国内で唯一、日本刀用の玉鋼を年間約2-2・5トン生産、全国の刀匠に提供している。

2009年2月16日 無断転載禁止