(25)江戸の松江藩 其の六 江戸大崎の下屋敷

【眠雲】大崎苑の茶室「眠雲」の席額
【大崎下屋敷絵図】(松江市所蔵)縦175センチ、横287センチ。絵図の裏には天保4年の記載。富士山に面する御殿山西斜面に、自然の地形変化を巧妙に取り込んだ苑内は、さまざまな変化に富んだ景色を創出していたという。露地で茶室と茶室が結ばれている様子がよく分かる
【蔟々閣】大崎苑「蔟々閣」の席額
【谷文晁の大崎苑】松平定信が谷文晁に描かせた江戸大崎苑の茶室真景図の模写。描かれているのが簇々閣=島根県立美術館提供
 不昧流席額独特の美意識

 今回の東京編で取材した中で、東京国立博物館(東京都台東区)に所蔵されている松平不昧(治郷)筆の額二点が、江戸大崎の下屋敷の茶室に掛けてあった席額らしいことが関係者の話から分かった。席額は茶室の茶席や軒下に掛けられるもので、表札に相当する。このうち「簇々閣(そうそうかく)」と書かれた席額は、傷みが激しいため、これまで同博物館では展示された記録がなく、存在を知る人は少なかったという。今回は、そうした席額が飾られていた茶人不昧の集大成といわれる大崎下屋敷の紹介。

   ※ ※ ※

 大崎の下屋敷(現在の東京都品川区北品川五丁目)は別名、大崎茶苑(大崎苑)と呼ばれ、一万八千坪の邸内に十一の茶室(独楽庵・利休堂・松瞑・為楽庵・簇々閣・窺原・眠雲・富士見台・一方庵・清水茶屋・紅葉台)があり、江戸随一の名苑として知られていた。

 今回注目した「簇々閣」の席額は、縦五四・五センチ、横三五・四センチ。黒漆を塗った板に不昧流といわれる唐様の独特の書体を白い胡粉(ごふん)で仕上げたもの。不昧が愛用したヒョウタン形の印「宗納」の朱印、額縁の四隅には朱(あか)漆で塗られたヒョウタンの飾りがあしらわれている。ほかの茶室が純日本風なのに対して、簇々閣は中国風の茶亭で、赤、黒、白の三色で仕上げられた席額にも、不昧の美意識の一端がうかがえるという。

 また、もう一点の額「臥月眠雲(がげつみんうん)」は、茶室「眠雲」の席額と思われ、ケヤキの板に文字が浮き上がるように彫られている。大きさは縦三五・七センチ、横六三・六センチ。

 国立博物館によると、この二点は一九二二(大正一一)年三月、最後の松江藩主・定安の三男直亮(なおあき)氏から寄贈された。同館所蔵品の中で大名の書が額になったものは他にはなく、珍しい作品という。大崎苑の席額としてこれまでに確認されているのは、小堀政尹(まさただ)筆の「窺原」(きげん)=藤間家所蔵=と■(倩のツクリの右に杉のツクリ)楽院筆の「一方庵」=月照寺所蔵=の二点だけとされている。

   ※ ※ ※

 東京国立博物館に「臥月眠雲と書かれた不昧筆の作品がある」と聞き、取材に出掛けた。取材を終え一段落した後、同館の高梨真行研究員が「もう一点、不昧筆の作品がある」と収蔵庫から出した木箱を開いて見せてくれたのが「簇々閣」の額だった。 

 詳細も分からず、この日はとりあえず写真だけを撮って取材を終えたのだが、その後、取材で関係者に出会うたび、写真を見てもらっていた。一カ月以上も過ぎたころ、不昧研究の第一人者として知られる出雲伝承館の藤間亨名誉館長から「これは二点とも大崎の(茶室)席額」との回答を得た。藤間氏は「書体は不昧の特徴がよく出ており、間違いないだろう。不昧を研究する上で大きな意味がある」と話している。

※ ※ ※ 不昧や大崎苑については全国各地に多数の研究者がいる。岐阜県の情報科学芸術大学院大学の関口敦仁教授は、現存する平面図や江戸後期の南画家・谷文晁が描いた写生画の写しをもとに、大崎苑をCG画像で復元した。地形の変化を巧妙に取り込んだ苑内を目線で散策する動画で、近く出雲市の出雲伝承館に寄贈することにしているという。こうした研究の積み重ねで、大崎苑の実像が徐々に解明されていくのは楽しみだ。


 (写真・文 本社報道部 伊藤英俊)


 この企画に関するご意見をお寄せください。郵送の場合は〒690-8668、松江市殿町383、山陰中央新報社報道部「開府400年記念・松江誕生物語」係。メールアドレスsyashin@sanin-chuo.co.jp

2009年3月23日 無断転載禁止