(21)興雲閣(KOUUNKAKU)(松江郷土館) 松江見守る白亜の洋館

ライトに浮かび上がる興雲閣(松江郷土館)。市民から白亜の洋館として親しまれている=松江市殿町の松江城山公園
 松江市殿町の城山公園。松江城を目指して登ると、「白亜の洋館」が目前に現れる。洋風の二階建ての屋根は和風の瓦ぶき、正面の欄干には唐草模様が刻まれる。中には立派な階段の踊り場もあるが、天井などその造りの多くが日本家屋の様式だ。興雲閣は地元大工の手で一九〇三(明治三十六)年に造り上げられた建物だ。

 戦前は山陰行啓時の嘉仁皇太子(後の大正天皇)の宿泊場所にも使われた迎賓館的な役割と、イベント施設の役割があり、版画家・平塚運一の展覧会なども開かれ、松江の文化的拠点でもあった。戦後は県庁、県教委庁舎を経て、現在は松江郷土館として、松江市の郷土資料を収蔵、展示している。

 この建築物にはいろいろ解明されていない点がある。設計図はあるが、誰が設計したか判明していない上、一八八八年以降は全国で全く造られなくなったアジアなどで西洋諸国が建てた建築様式「コロニアル様式」を十五年も経て、なぜ再び採用して建てたのか。多くの県民や地元が親しみを持つ一方で、謎が多い建築物でもある。

 「和洋一体で当時は異様だったかもしれないが、年月と歴史がたった今は江戸と明治がマッチした存在感を感じる」と松江郷土館の学芸員で現在、興雲閣の建築過程を調べている新庄正典さん(31)。

 興雲閣の特色の一つはその立地条件。城下町を見下ろす城山内にあり、正面二階応接間のベランダからの光景は、立ち並ぶビルやマンションのため、今は松江市街地一円を見渡すことは難しいが、かつては市街地を一望し、遠くは大山まで眺めることができた。新庄さんは「発展していく松江の町を明治天皇に見てもらいたかったのではないのか」と想像する。

 学芸員時代を含め約八年間この建物で仕事をしてきた安部登館長(78)は「この地で歴史を重ねた建物なので、末永くこの地に残していきたい」と願う。

 百年前から松江の発展を見守ってきた「白亜の洋館」。今も松江の歴史を語る品々を守りながら、この地にじっと根付いている。

 興雲閣 1903(明治36)年、松江市が松江工芸陳列所の名目で建設した明治天皇行幸の際の御宿所。日露戦争勃発で行幸は中止されたが、07年の嘉仁皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓では御宿所となった。69年に島根県有形文化財に指定。73年に「松江郷土館」としてオープン、松江市の郷土資料を収蔵、展示している。

 「未来へ伝えたい山陰の遺産」は、写真シリーズ企画「開府400年記念・松江誕生物語」とともに月曜日に随時、掲載します。ご期待ください。

2009年4月20日 無断転載禁止