(27)松江城の鬼門封じ 華蔵寺

石仏・不動明王/慶応年間、章安和尚の時代に建立。あごの部分が未完成なのは幕末動乱期で資金不足になったためともいわれる=写真はいずれも松江市枕木町、華蔵寺
棟札/同寺に伝わる棟札は50枚以上。これまで確認されている一番古いものは明暦元年、松平直政建立が記された5枚。史料の大半が消失した中で歴史の一端を知ることができる貴重な物証だ
御成の間/飾りは小林如泥の作と伝わる桐の透かし彫り
鐘楼門/現存する建物で最古の建築物の一つ。御成門などとともに見どころのひとつ。撮影当日は霧に優しく包まれていた
茶室/書院と六畳の次の間の奥に、二帖(畳)台目の本席がある。節の多い床柱に踏込み床が付き、客座部分の天井を網代(あじろ)とし、袖壁脇の向板(むこういた)に丸炉を切った珍しい意匠になる。にじり口は備えず、障子の向こうは山肌が迫っている
仁王像/仁王門の脇に立つ仁王像。5月8日の降誕祭では子どもたちの成長を祈って像の股(また)くぐりが催される
 藩主の加護受け寺運再興


 眼下に大根島を浮かべた中海と弓ケ浜半島、秀峰・大山の雄大な景観が広がる松江市枕木町の枕木山(標高四五六メートル)。山頂に華蔵寺(けぞうじ、吉本玄進住職)がひっそりとたたずむ。松江城の鬼門とされる丑寅(うしとら・北東)方向に位置するため、その安泰を祈願し、歴代松江藩主の加護を受けてきた。

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 松江市内から車で約三十分。テレビ塔付近から参道を徒歩で登る。本堂まで十数分。四百近くの石段が続く参道には、仁王像二体を安置する仁王門などがあり、参拝者を飽きさせない。

 道すがら、石造りの不動明王がとりわけ目を引く。玉垣で仕切られた聖域の奥、崖の上に鎮座し、約十メートルの大きさは日本有数。目を見開いた表情が、参拝者を暖かく見守っているようでもあり、見るほどに趣がある。

 石仏の上手にわき出ている杉井の霊水は鎌倉時代、病に伏した亀山法皇が飲み、たちどころに治ったと伝わる。この水でのどの渇きを潤し、一気に石段を上り詰めると、広い境内がこつ然と現れる。明治時代の同寺の案内絵図には旅館も描かれ、多くの参詣者でにぎわった光景をほうふつさせる。

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 華蔵寺の歴史は古く、延暦年間(七八二-八〇五)、桓武天皇の時代に天台宗の僧、智元上人が開基。隆盛時に末寺数十数カ寺を有した山岳仏教の一大霊場として知られたが、戦国時代に尼子氏と毛利氏の兵火に遭い、諸堂とともに古文書類がことごとく消失。寺運も衰退の一途をたどった。

 その後、松江藩の開府で同寺は息を吹き返す。鬼門封じのため、松江城を築いた堀尾吉晴が華蔵寺を祈願所とした。

 松平氏が藩主になると、さらに手厚く加護を受ける。明暦元(一六五五)年、初代直政は国家安全城内豊穣、武運長久、御息延命諸願成就などを祈願し観音堂、薬師堂、仁王門、地蔵堂、鐘楼堂、山王社を建立。同寺に伝わる大量の棟札が再興の歴史を物語る。

 藩との強い結びつきを示すものに、御成の間がある。本堂と小さな太鼓橋で結ばれている別棟は、江戸中期の建築。歴代藩主の休憩所並びに宿泊所に活用されたとされる。

 床脇の違い棚には、名工・小林如泥の作といわれる桐の透かし彫りが施され、茶室は七代藩主・松平不昧(治郷)が愛用したと伝わる。

 薬師堂に安置されている薬師如来像は平安後期作の国指定重要文化財だが、五十年に一度開帳される秘仏。普段、見ることができないのは残念だ。

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 今回、保存されていた多くの棟札を見ることができたが、本堂に関した棟札はなかった。しかし、吉本住職によると、未整理の棟札がまだ多数あるという。

 「ひょっとすると、本堂は堀尾時代の建立なのか?。屋根裏に未発見の棟札があるかもしれない」。そんな思いを胸に枕木山を後にした。折しも二〇一一年は、華蔵寺が天台宗から臨済宗南禅寺派に改めた禅師の七百年忌。多彩な事業が計画されていると聞く。これを機に新たな発見を期待したい。

  (写真・文 本社報道部・伊藤英俊)



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2009年4月27日 無断転載禁止