(28)雨森家の寄贈品

【陣羽織】雨森家に代々受け継がれてきた陣羽織
【馬験】松江松平家の馬験。手前は戦士番指し物、後方2点は旗指し物=写真はいずれも雨森家寄贈品より
【古文書と封(1)】文書の右端に「切封(きりふう)」の跡が残っている
【古文書と封(2)】(1)を折りたたんだところ
【古文書と封(3)】左端上部に残る墨跡は「結び封」だったことを示す
【古文書と封(4)】「結び封」の形と墨引きの仕方。墨引きは裏にも行われた
ロシア使節レザノフ一行図。右端の人物がレザノフ
貴重な品々が物語る藩史

 今回紹介する雨森(あめのもり)家は、島原藩(長崎県)で起きた日本史上最も大規模なキリシタン一揆の島原・天草一揆(島原の乱、一六三七-三八年)で、キリシタンらが立てこもった原城本丸に、一番乗りした戦功で松平松江藩初代藩主・直政に召し抱えられた藩士の家。歴代藩主に仕えた雨森家には、戦国時代から幕末に至る史料が保存され昨年、同家の子孫・清矩氏(富山市在住)から松江市に五百二十一点の古文書と資料が寄贈された。

 その中には、戦場で松平家の存在を示す旗や陣羽織など、貴重な史料が多い。寄贈品が物語る同家と松江藩の歴史をひもとく。

(写真・文 本社報道部 伊藤英俊)



陣羽織

 七代目・雨森甚太夫が長州征伐に従軍した際、着用したとされる陣羽織。だいだい色に、襟は青の羅紗(らしゃ)、胸には雨森家の家紋の蛇目(じゃのめ)が縫いつけてある。肩には銀糸を使った唐草模様の刺しゅう、その上に編み糸でギザギザ模様のアクセントが施され、ボタンは象牙を用いたモダンなデザイン。簡素な中にも凝った作りとなっている。

 陣羽織は、武将が戦闘の際、鎧(よろい)の上に着用する防寒着という目的のほか、戦場で所在や活躍ぶりをアピールし、戦死したときには死を誇り高く見せる意味があるという。


馬験

 馬験(うまじるし)は戦国時代から近世、諸大名の間で流行した軍陣の標識(マーク)。長柄(ながえ)の先につけたり、武将の馬や本陣に押し立て、大名の所在を味方に示した。

 松江松平家の馬験は慶長十九(一六一四)年、初代直政が十四歳で大坂冬の陣に出陣した際、母の月照院が布の上に盥(たらい)を伏せて、墨で丸を描いて持たせたことに始まる。

 雨森家に伝わり、位の高い武士が用いた戦士番指し物は絹を使用。紺地に大きく丸を白抜きし、大きさは縦一メートル、横九〇センチ。左下に同家の名前が記されている。旗指し物は二点とも黒い丸を縦に並べ縦三メートル、横四〇センチ。

 松江松平家の馬験の実物は、松江市が所蔵し、九つの丸がデザインされた「九曜紋馬幟(くようもんうまのぼり)」以外ほとんど残っておらず、保存状態が良いものは極めて珍しい。


古文書と封

 写真(1)の古文書は、近江湖北の戦国武将・浅井長政が永禄四(一五六一)年、近江湖西の高嶋郡へ攻め込んだ際、雨森次右衛門の活躍をたたえた戦功証明書。近江国出身の雨森家は浅井氏に仕えたが、浅井氏が織田信長に滅ぼされると、主家を失った牢人(ろうにん)として諸国を渡り歩いた。

 写真(3)の古文書は、雨森清広が島原・天草一揆の原城攻撃の際に成し遂げた本丸一番乗りを証明する目撃証言書。苦難の末に戦功を挙げ、これを契機に出雲入国途中の松平直政の下で仕官を果たした。以後、松江藩で中級武士として七代にわたり仕えた。

 興味深いのは、紙片に残された墨跡と折り目から、二通の文書が丁寧に折り畳まれ、封が施されていたことが分かる。(1)は写真(2)のようにたたみ、髷(まげ)の中に隠し持っていたという。(3)は写真(4)のように折り結び、現在も封筒を閉じた後に記す「×」印で封じていた。

 動乱の時代、ともに命の次に大切な文書として扱われたことをほうふつさせる。

 内容が分かりにくい、と資料館や博物館で、とかく敬遠しがちな古文書も、こうした点に目を向ければ、時代を駆け抜けた人々の息遣いが聞こえてくる。


レザノフ一行図

 幕末になると外国船の来航が頻繁になり、国内に緊張が走った。

 雨森家に伝わるロシア人図には、ロシア使節のレザノフ(一七六四-一八〇七年)とその一行が登場する。松江藩の軍備や防衛を担当した同家が、異国船に対する警備のため、情報収集する一環で入手したとみられる。国内でレザノフの絵が多数見つかっている中で、丹念に描かれている。

 レザノフは、文化元(一八〇四)年に日本と通商樹立を求めて長崎に来日するが、幕府から拒絶され、報復としてロシア軍艦が蝦夷地周辺を攻撃する。その後、生じたロシア艦長ゴローニン人質事件などで日ロ関係はさらに悪化していった。



 この企画に関するご意見をお寄せください。郵送の場合は〒690-8668、松江市殿町383、山陰中央新報社報道部「開府400年記念・松江誕生物語」係。メールアドレスsyashin@sanin-chuo.co.jp

2009年5月11日 無断転載禁止