(30)嫁ケ島(下)

【上陸した若槻礼次郎夫妻】 いすに座っている若槻礼次郎(右)と夫人(左)。中央後ろ姿は、島根県選出の衆議院議員木村小左衛門。写真左には合同汽船と思われる船と、白い鳥居がかろうじて確認できる。 松江が生んだ若槻は、島根県出身者で初の首相を務め、昭和10(1935)年4月3日、松江市の床几山に銅像が建立された。写真はこの頃に撮影されたと思われる。同年、若槻礼次郎は数本の松の木しかなかった嫁ケ島に20本の松の苗を植樹。今日の嫁ケ島の風景になったといわれている(園山書店蔵)
【遊覧船と漁】 昔も観光船でにぎわった様子がよく分かる。島の構築物などから大正から昭和初期にかけて撮影されたと思われる(今岡ガクブチ店蔵)
【積み重ねられた如泥石】 明治40(1907)年3月に田辺朔朗博士が寄贈した石造りの鳥居が写っている。島の中は沼地のようになり、周囲に積み重ねられた如泥石が確認できる。臼のような形の如泥石は、松江藩の名工・小林如泥が考案したとされる。 「島の美観を守るための防波堤なら無細工な石垣の構築物は風趣を害し、当初の目的と矛盾する」と如泥石の存在を一蹴した芥川竜之介の「松江印象記」=大正4(1915)年8月6日から2週間、松江市に滞在=の一文を連想させる。芥川が見たのはこんな光景だったのかもしれない(今岡ガクブチ店蔵)
【宴会】 車座になった男たちの前には、折り詰めの弁当に一升瓶とビールが並ぶ。嫁ケ島に桜はなかったから花見ではなさそうだ。後方近くまで湖水が迫る。撮影年代は昭和初期と思われる(園山書店蔵)
【東宮殿下嫁ケ島御座船の景】 撮影日は明治40(1907)年5月25日と思われる。どれが御座船か不明だが、島を飾る小旗や鳥居の上でたなびく2本の日の丸の旗から特別の日であることが分かる。皇太子(大正天皇)は真新しい鳥居がある嫁ケ島に上陸。嫁ケ島周辺では投網船10隻、引き船10隻が出漁し、コイ、フナ、ボラなど宍道湖の漁を楽しんだという(今岡ガクブチ店蔵)
【水没した島】 大雨に伴う増水で松の木だけが水面に見える嫁ケ島(資料・2006年7月19日撮影)
【復旧作業】 地盤がゆるんだ嫁ケ島では松の木が大きく傾いた。後日行われた復旧作業中に松の根元から多数の如泥石が見つかり、嫁ケ島の形状などに一石を投じることになった。昔の島の外周か、それとも単に土止めに使用したのか。嫁ケ島の歴史に詳しく、作業に参加した松江市古志原の板垣六郎さん(62)は「参加した皆さんが不思議に思った」と話す(2006年9月16日、板垣六郎さん撮影)
風光明媚 絶好の被写体

 明治時代になり、写真機が普及すると写真は歴史を記録する第一級の資料となる。風光明媚(めいび)で伝説に包まれた嫁ケ島は多くの人々に愛され、絶好の被写体となった。撮られた写真は、貴重な松江の歴史の1ページ。写真を見れば、いつの時代の嫁ケ島かも分かるというほど、さまざまな姿に変化した。今回はあまり知られていない水都・松江のシンボル、嫁ケ島の多彩な写真を紹介する。

(本社報道部 伊藤英俊)


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2009年6月8日 無断転載禁止