取材班・乃木小(松江)6年生 広島修学旅行で平和学習

戦争、原爆の悲惨さ体感

 松江市立乃木小学校の6年生は6月4日、修学旅行で被爆地広島を訪れました。被爆者の体験講話、碑めぐり、平和記念資料館・本川小学校平和資料館の見学を通して、あらためて原爆の恐怖、戦争の悲惨さ、平和の大切さなどについて学びました。修学旅行から帰って、児童たちは平和学習のまとめとして、平和新聞や短歌作りに取り組みました。今後は「自分たちにできることは何か」をよく考えて、反戦・平和への思いを行動に表していきたい、と話しています。

4組 藤本瑞希

勇気与えた「芽ぶき」

 私は修学旅行で平和学習をして、被爆アオギリという木のことが一番心に残りました。学校で総合的な学習の時間に、この木をテーマに調べ学習をしました。

 1945年8月6日午前8時15分、広島は原爆によって一瞬にして火の海となり、多くの人が亡くなりました。たった一つの原爆により、広島は死の町となりました。

 絶望感に打ちひしがれた広島を変えたのは一本の木でした。その木の名前はアオギリ。葉っぱが茂っていた枝はほとんど折れ、太い幹は半分えぐり取られていました。もう広島に緑は70年生えることはない、そう言われていたのに、このアオギリに一つの小さな芽が出ました。その芽を見た人たちはとても元気づけられ、この芽が広島の人々に生きる勇気を与えたそうです。

原爆記念資料館を見学しながら熱心に平和学習に取り組む児童たち
 もう二度と原爆を、戦争を許してはいけません。そして今、緑がとても少なくなっています。私はこれからこの被爆アオギリと同じ木、草花を大切にしていきたいと思います。



5組 石田景子

世界中から核なくして

 私は修学旅行で平和学習をしました。平和記念公園では碑めぐりをしたり、資料館でいろいろなものを見たり読んだり、原爆のさまざまなことを知って、少しは平和への関心が強くなったように思います。資料館で見た原子爆弾の恐ろしさは、私が想像する以上にひどいものでした。本川小学校の生徒は全員が亡くなり、校舎もボロボロになったことを知り、悲しい気持ちになりました。

 ニュースでは北朝鮮の核問題のことを聞きました。なぜミサイルを発射したり「核開発をするぞ!!」と言ったりするのかが不思議です。もっと核のない平和な世界になってほしいと思います。

 私はいつもおいしいものが食べられるので、とても幸せだと思います。これからもいろいろなことを頑張りたいと思いました。



3組 野津智愛

「原爆の子の像」の近くで熱心にメモを取る児童たち
心に残った韓国人慰霊碑

 たくさんの碑を巡って、特に心に残ったのは「韓国人被爆者慰霊碑」です。以前からぜひ見たいと思っていたものです。碑の前には韓国の形を折り鶴で作ったものなどがささげられていました。ハングルで書かれたメッセージも印象的で、平和を祈る人々の気持ちが伝わってきました。

 韓国人被爆者慰霊碑は、原爆のために亡くなられた韓国人の方々を慰霊することを目的として作られたもので、碑は韓国産の石です。碑の下にいるカメは、原爆のために命を奪われた方々を背中に乗せて天国に連れていく、お使いのような役割があります。

 当時約5万人の韓国人が広島に住んでいました。日本に渡って軍人になったり、工場や炭鉱で働かざるをえなかった人々です。故郷から遠く離れた外国で、なんの罪もないのに原爆の犠牲となり、とても悔しかったことでしょう。

 「チョヌン、セゲガピョンファガテミョンチョッケッスムニダ」(私は、世界が平和になったらいいと思います)。私の心からの願いです。平和への思いを私なりの方法で多くの人々に向けて発信していきたいです。



1組 景山萌瑛

本当の恐ろしさは後障害

子どもたちが集めた顔写真約1万人分。笑顔が一瞬のうちに…。被爆者の数を想像した
 碑めぐりガイドの増岡さんは中学3年の時、工場で被爆し、左半身に大やけどを負いました。今でも首の辺りにやけどの跡(ケロイド)が残っています。家族も亡くしました。私は増岡さんの話からたくさんの思いが伝わってきました。悲しみや痛み、つらさも少しは分かりました。きっと言葉なんかで言い表せない気持ちと闘ってこられたのだと思います。

 原爆の本当の恐ろしさは後障害です。放射線を浴びて何年もたってから白血病やがんを発病することがあります。被爆者はこのような恐怖とも付き合っていかなければなりません。

 とてもつらくて悲しい悲劇を起こしてしまう、人間の「競争」(戦争)。一発でたくさんの罪のない人を殺してしまう「原爆」「核兵器」。こういうものって、人間が譲り合っていたら作る必要もないのに、何で作らないといけないのだろう、とたくさんの疑問が出てきました。核兵器という恐ろしいものは人間が作ったのだから、一つ一つ人間が壊していけばいいと思います。

 「Peace(平和)」という言葉があります。チョキを出してピースと言いますよね。「平和」って言っているのかな、と思いました。これからは世界で核を使わないようにして、本当の「平和」な世界になったらいいです。それは増岡さんの願いでもあります。



2組 井上真里

悲劇招く核兵器使用保有国に知らせたい

 私は平和を学びに広島に行って、碑めぐりガイドさんのお話や被爆体験者の方のお話を聞いて、原爆が落とされた時のことや、原爆が落とされた後のことが、想像以上に怖くて悲しい出来事ということがあらためて分かりました。

相生橋の上でガイドさんの説明を聞く児童たち
 私は、この平和学習を通して、たった一つの原爆でたくさんの人が苦しみ、とても恐ろしいものだということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。

 また、核兵器をロシアやアメリカなどの国がたくさん持っているので、これらの国の人に広島まで来てもらい、どれほどの被害があったのか知ってほしいし、核兵器を使ったらまたたくさんの人が悲しむので、私も広島の人たちと一緒に核兵器がこの世界から消えることを願っていきたいです。



短歌に託す反戦、平和への思い

1組 安斉 美玖

 忘れない 語りべさんのなみだ声 あの戦争はなんだったのか

1組 越野 剛士

 消えてくれ みんなを困らす核兵器 僕らが消そう 平和の灯

(注)平和の灯(ともしび)は、核兵器が地上からなくなるまで燃やしつづけられます。

2組 池田 康平

 原ばくの 空にうかぶはきのこぐも今は空飛ぶ 白いはとかな

2組 藤井香名子

 ゆるすまじ にくき原爆 被爆者に今なお聞こえる あの日のさけび

3組 石原あかね

 ともし火に 平和のもどる日がくると たくさん願って お祈りする

3組 渡部 龍也

 原爆は 人間を殺し町をこわし 全てをうばった もう許さない

4組 槙原 美里

 戦争で 人が作った原爆の 恐ろしさ語る 原爆ドーム

4組 桑木 基成

 あの日から 生まれ変わった広島は平和あふれる 美しい街

5組 浜田 奈美

 千ばづる 一人一人がていねいに 平和の願い こめて作った

5組 毛利 元紀

 一発の リトルボーイで血の海に 今もむ念の 声が聞こゆる

2009年7月30日 無断転載禁止

こども新聞