(35)相撲で知る出雲の歴史

■相撲の起源■<野見宿祢(右)と投げ飛ばされる當麻蹴速の対戦図屏風> 幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)の作品といわれている(日本相撲協会相撲博物館蔵)
■神事■<紙本著色三月会神事図屏風(舞楽相撲図右隻)> 出雲大社周辺の風景とその中に舞楽と相撲の様子が描かれている。江戸時代の作品で、作者の落合利兵衛は狩野安信に師事した松江の絵師(出雲大社蔵・前期展)
■大関・釈迦ヶ嶽雲右衛門(しゃかがたけくもえもん)■<着物姿一人立 釈迦ヶ嶽雲右衛門=模写=> 身の丈7尺1寸6分(217・4センチ)。一説には227センチ、体重180キロともいわれている巨人力士。実力と人気を兼ね備えた。現在の安来市出身。後期展には釈迦ヶ嶽が着用した巨大な裃(かみしも)が展示されている(日本相撲協会相撲博物館蔵・前期展)
<釈迦ヶ嶽雲右衛門の草履(ぞうり)> サイズは42センチ。これでも小さく、はけなかったと伝えられている
■錦絵■今回の見どころの一つが100点以上展示されている錦絵。歌麿、写楽、春英、菱川師宣、勝川春章、月岡芳年など多くの絵師の作品をみることができる。趣向を凝らしたデザインの化粧まわしにも注目したい
■化粧まわし■<横綱・稲妻雷五郎所用の化粧まわし> 図柄は松江藩の印紋「山形に子持ち二引き」(日本相撲協会相撲博物館蔵)
<大関・雷電為右衛門所用の化粧まわし> えんじ色の地に金糸で稲妻模様が刺しゅうされている(長野県東御市大石区蔵)
<越ノ戸浜之助所用の化粧まわし> 図柄は松平治郷(不昧)が好んだ「瓢箪(ひょうたん)つなぎ」。松江藩お抱え力士を示す(日本相撲協会相撲博物館蔵)
 一世を風靡した雲州力士


 江戸時代の相撲の歴史は、雲州(松江藩)力士抜きに語ることはできない。今回は、出雲市大社町、島根県立古代出雲歴史博物館で開催中の「どすこい 出雲と相撲」展から、一世を風靡(ふうび)した松江藩の力士を中心に紹介する。

 出雲は相撲発祥の地。古事記の国譲り神話に、稲佐浜で力比べをした建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が登場。日本書紀には、出雲国の野見宿祢(のみのすくね)が、日本一と力自慢をする大和国の當麻蹴速(たいまのけはや)を打ち負かした逸話があり、二つの神話・伝承が相撲の起源とされる。

 さらに、江戸時代になると「雲州力士なくして江戸相撲は成り立たなかった」と研究者が説くほど、松江藩が大きな存在感を示す。各藩所属の力士はお抱え力士と呼ばれ、藩主から庶民まで相撲に熱狂した。

 松江に入府した松平家初代藩主・直政も大の相撲好き。相撲取りを藩船に乗る水夫の水主(かこ)として召し抱えた。他藩にはない制度。いわば、力士を終身雇用の公務員として採用し、水主は現役退役後は後進の指導や新人の発掘も行った。

 7代藩主・治郷(不昧)の時代になると相撲の盛り上がりは最高潮に達した。享和元(1801)年3月の番付表では大関・雷電為右衛門(らいでんためえもん)をはじめ、雲州力士が西方の上位をすべて占めた。相撲しか娯楽がなかった時代、強い力士は庶民のヒーローとなり、勝率9割6分、大相撲史上最強の力士といわれた雷電は、現在のイチロー(マリナーズ)のような存在だった。

 熱狂するファン、血の気が多い力士。相撲に乱闘騒ぎはつきもので、幕府は幾度も辻相撲や勧進相撲の興業禁止令を出した。

 力士は藩の力を誇示する役目を背負い、広告塔の役割も担った。力士はどの藩に属しているのか、一目で分かる図柄を施した化粧まわしをしめた。

 古代出雲歴史博物館の展示会場に足を踏み入れると、全国で活躍した雲州お抱え力士たちが、松江藩の領民に夢と自信を与え、郷土への誇りをはぐくんだ軌跡が浮き彫りになる。

(写真・文 本社報道部・伊藤英俊)

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 同展は9月23日まで。写真説明で(前期展)とあるのは前期展のみの展示で、現在は展示されていません。


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2009年9月7日 無断転載禁止