(36)幕末史を飾った八雲丸(上)

島根県立図書館所蔵の「第壱八雲丸」の図面の写しから、装備や性能について解説する大和ミュージアムの戸高一成館長=呉市、大和ミュージアム
第一八雲丸の絵の複写写真。現在、絵の所在は不明。いつ誰が描いたのかも、分かっていないものの、大和ミュージアムの戸高一成館長は「絵にある印鑑などから貴重な資料」という=鈴木■(キヘンに僕)実氏提供
仕様
 時代先取りした新鋭艦


 薩摩や佐賀、長州など蒸気艦を所有していた藩がわずかだった1862(文久2)年、松江藩は国内で珍しい最新鋭の蒸気機関を備えた軍艦2隻を購入した。「第一八雲丸」(英国製鉄船、ゲセール)と「第二八雲丸」(米国製木造船、タウタイ)。とりわけ鉄船の第一八雲丸は、当時の新鋭艦。時代を先取りした松江藩の軍艦は、幕末史に残る将軍・徳川家茂の上洛や、長州戦争で幕府の兵士を大阪から広島に輸送するなどの歴史の舞台に登場したが、主役の陰に隠れて航跡を知る人は少ない。今回から3回、幕末から明治維新に活動した八雲丸を紹介する。

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 1800年代、日本はロシアやイギリスなど開国を求める外国船の脅威にさらされ、1853年、米国、ペリーの黒船が来航。各藩はこぞって軍備増強にはしり、外国から大型艦船の購入などを画策した。

 中でも、第一八雲丸が、新鋭艦としての性能を広く証明した史実が、1863年の供奉艦競争だった。

 公武合体で、将軍・徳川家茂と皇女・和宮の結婚が実現し家茂の海路上洛が決まると、各藩の艦船は幕府により供奉艦にかり出された。品川を出航した供奉艦の艦隊は家茂の要望に応え遠州沖でスピードレースを実施。参加艦船10隻中、第一八雲丸は薩摩藩の蒸気艦セーラ号を破り1位の座を占めた。

 日本の軍艦に詳しい呉市海事歴史科学館大和ミュージアム(広島県呉市)の戸高一成館長は、「第壱八雲丸」の詳細な図面の写しを前に、甲板中央の「テレガラーク」と記された小さな円盤を「これはテレグラフ。機関室に指示を送る装備で、帆船にはない。幕末の艦船でこれほど詳しく各部の名称が書かれたものは珍しい」と解説する。写しは島根県立図書館が収蔵。スコロフ(スクリュー)、コンパスなど初めて聞いたと思われる装備品の名称がカタカナで書き込まれた貴重な資料だ。

 もう1点、第一八雲丸の姿を知ることができる資料に戦前、撮影された絵の複写写真がある。松江藩の海軍史に詳しい鈴木■(キヘンに僕)実さん(鳥取市湖山町北4丁目)が所蔵。絵の印鑑から、戦前まで海軍が保管していたことが確認できるという。

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 松江藩には長い海岸線と幕府からの預かり領だった隠岐の島があり、海運、海防が重要課題だったが、わずか18万6千石の小藩が新鋭艦を購入したのは洋学、西洋軍学を積極的に取り入れた最後の藩主・松平定安の英断だった。鈴木さんは「定安の強い意志と先見性がうかがえる」と読み解く。

(写真・文 本社報道部 伊藤英俊)

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2009年9月21日 無断転載禁止