(39)松江松平藩の紋と印

【替紋・六つ葉葵】裃(かみしも)に付されている紋。中央に花のデザインがあり花葵といわれる(島根県奥出雲町・絲原記念館蔵)
【替紋・二葉葵紋】麻製の夏の着物に付してあった二葉葵紋。絲原家が10代藩主定安から拝領した(島根県奥出雲町・絲原記念館蔵)
【猪ノ目】松江松平藩の家老・大橋茂右衛門家に伝わる甲冑(かっちゅう)の兜(かぶと)。飾りの中央にあるスペードのような形が松江藩の合印「猪ノ目」(松江市蔵)
【猪ノ目】奥羽に出兵した松江藩の旗。機械方を示す「器」の字の左下に、猪ノ目の印がある(松江市殿町・松江郷土館蔵)
【化粧まわしに山形と引両】雷電為右衛門の錦絵。化粧まわしの山形模様は「出羽山形」をデザイン化した。その下の2本線は「引両」と呼ばれる。源氏の白旗に引かれた2本の黒線にちなみ、源氏の正統を示すシンボル。徳川幕府は将軍家、御三家と松江松平藩だけに使用を許した(松江市外中原町・月照寺蔵)
【葵紋と山形の印】第一八雲丸の図面(9月21日付掲載)にあるマストの先端部に描かれた葵紋と山形の印(島根県立図書館所蔵)
【松江藩の定紋】藩主用の笠。正面に三つ葉葵紋。上部には花葵。籐(とう)の編み笠で夏用とされる(個人蔵)
【替紋】三つ葉の花葵だろうか。9代藩主・斉貴愛用の品。また婦人が好んで使用したことから女紋とも呼ばれている
【替紋】一つ葵の紋がある松平斉貴愛用の鷹狩りで使用した餌箱(いずれも松江市外中原町・月照寺蔵)
【字紋】「葵」の篆書(てんしょ)体を紋にした。黒漆を塗り重ねて彫刻した平笠。金の双龍と銀の雲がデザインされた高級な作りで、家老クラスが藩主の行列の時に使用したといわれている(個人蔵)
 形象異なる”ロゴ”使用

 武家の家紋と印(しるし)は、現代風に言えば”ロゴマーク”。松江松平藩の初代藩主・直政(1601~1666年)は、徳川家康の孫だっただけに、多くの特権を帯びて松江に入府した。その一つが当時、絶対的な権力の象徴だった「葵(あおい)の紋」だ。将軍家をはじめ徳川御三家、御三卿など、限られた親藩の家柄にしか使用が許されなかった家紋である。

 一口に葵の紋といっても、種類はいろいろある。代表的なのは、テレビドラマ「水戸黄門」で登場する印籠(いんろう)に描かれた「三つ葉葵」の紋所。松江藩の定紋も三つ葉葵だ。ただし、将軍家や御三家などの定紋と見比べると、葉の外形などがそれぞれ微妙に異なる。

 さらに、定紋の三つ葉葵だけではなく、全くデザインの異なる「替紋(かえもん)」を使う場合もしばしばあった。このため松江藩だけで葵の紋は数種類あり、家紋大図鑑によると、全国には定紋、替紋を合わせて100種類以上が存在する。素人にはほどんど判別がつかない世界だ。

 ちなみに松江市殿町の松江郷土館(興雲閣)で開催中の特別展「松江藩の治世と文化」(11月29日まで)では、10代藩主・松平斉貴(1815~1863年)が鷹(たか)狩りで使った飼入(タカの餌入れ)などに替紋を見ることができる。

 一方、「印」の方は所属する藩を表す。松江藩7代藩主・治郷(号・不昧、1751~1818年)の時代には、多数のお抱え力士がおり、不昧が好む瓢箪(ひょうたん)をデザインした化粧まわしをしめた。史上最強とうたわれた雷電為右衛門も松江藩の力士で、錦絵に載った化粧まわしにはギザギザの山形模様がある。松江藩主が出羽守を名乗った関係で、「出羽山形」の連想から藩の印に使っていたようだ。

 松江藩の印としては「猪ノ目」がよく知られている。こちらは合印(あいじるし)といい、戦場で敵と区別するため味方の旗、武具などに付けた。猪ノ目は文字通りイノシシの目を図案化したもので、「猪突(ちょとつ)猛進」と言うごとく、決して後に引かない勇気を示している。

 (写真・文 本社報道部 伊藤英俊)

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2009年11月16日 無断転載禁止