(41)江戸時代の婚礼料理再現

【料理人・安藤さんが解説】婚礼料理や食器について解説する安藤登さん(中央)と参加者ら。婚礼のお披露目は1番客、2番客と何日にもわたって続いたという。雌雄のクジャクや扇面などが描かれた硯蓋(2列目左から2、3点目)。中にはかまぼこ、シイタケ、山芋、マグロ、大広盆(右端手前の1、2点)にはあんかけ魚、絹ごし豆腐などが盛られた。中央の金属製の楕円(だえん)形の器は鯛麺を入れた長鍋で、木箱の中に鍋を入れる構造は現在の保温調理器と同じ=出雲市大社町、手銭記念館
【思いはせ舌鼓の参加者】出来上がった料理を楽しむ参加者=出雲市大社町、大社コミュニティセンター
【三つ葉で結んだ鯛麺】安藤さんが考案した、焼き鯛の切り身とそうめんを三つ葉で結んだ鯛麺。長鍋での鯛麺作りは出来なかったが、婚礼で振る舞われた鯛麺を体験するには十分だった=出雲市大社町、大社コミュニティセンター
【中央くり抜いた筒ゴボウ】中央をくり抜いた筒ゴボウ。昔から「先が見通せる」とお節料理にも欠かせない縁起物。婚礼の席には料理も器も縁起物づくしのオンパレードになる=出雲市大社町、大社コミュニティセンター
【手銭家に残る「婚礼一途」】江戸時代の婚礼料理再現の基になった手銭家に残る「婚礼一途」
 詳細資料なく手探り状態

 食すなわち「文化」だという。例えば江戸時代の食材、調理法などを目の前にすると、武家や庶民の暮らし、産業・経済の様子まで垣間見ることができる。出雲市大社町の手銭記念館(手銭白三郎館長)でこのほど、「江戸時代の婚礼の献立をつくろう」が催された。手本にしたのは安政4(1857)年10月、手銭家8代目の婚礼の料理メニューが分かる記録帳「婚礼一途(こんれいいちず)」。好奇心に誘われ、その一部を再現する試みをのぞいてみた。

 「婚礼一途」によると、婚礼料理は28品。食器類は焼き魚、かまぼこ、すしなどを盛りつけた硯蓋(すずりぶた)や大皿、長鍋なども含め、1人分が数十種類に及ぶ。ただ、記された吸い物などの品目を盛る椀(わん)の数は少なく、入れ替わりに幾度も使ったようだ。そのため運んだ盆は「通い盆」と呼んだらしい。

 また、吸い物以外の料理にはあまり手を付けず、披露宴後に招待客が部屋の隅に山積みされた「杉折」に詰めて持ち帰ったという。このスタイルは、現代と似通っている。

 当時の出雲地方は木綿や朝鮮ニンジン、鉄など特産品の生産が軌道に乗り、松江藩が困窮を極めた昔がうそのような経済状況。その半面、江戸や長崎には黒船が相次いで来航し、いつ戦争が起きてもおかしくないご時世だった。明治まで10余年。まさに時代は変わろうとしていたが「遠く離れた出雲は、嵐の前の静けさ、平和に満ちていた」と郷土史家は推察する。

 さて、手銭記念館が再現した料理は、めでたい席に欠かせない主役級の鯛麺(たいめん)とすし、梅碗(わん)に入った煮しめの3品だった。このうち料理人の安藤登さん(56)=出雲市天神町、日本料理「登わ」=が一番苦労したのは鯛麺だという。

 何しろ、本番を控えて目にした婚礼時の写真には、長鍋からはみ出さんばかりの大きな焼き鯛がデンと載っている。「この状態から鯛をほぐせば、骨と麺が一緒になって食べにくい」。料理法や盛りつけ方まで記した資料はなく、味に至っては「未知の世界」である。

 梅碗の煮しめも同じこと。大皿に盛るすしは「現在ならにぎりずしだろうが、ちらしずしか押しずしかも」と、最後まで手探り状態が続いた。

 今回はわずか3品の再現だったが、ハードルは想像以上に高く、企画した手銭祐子事務局長と佐々木杏里学芸員は「次回が開催できるかしら」と苦笑する。

 料理だけでなく、「婚礼一途」の冒頭には、嫁探しから婚礼までの経緯が詳しく記されており、当時の風習や習慣などもうかがえる。長年蔵の中に眠っていた古文書類。あらためて古史料の大切さを知った取材でもあった。

 (写真・文 本社報道部 伊藤英俊)


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2009年12月21日 無断転載禁止