取材班・平田中1年生 被災者から聞き取り調査

47水害の被災者から聞き取り調査をする平田中生徒たち
47水害体験語り継ぐ

 かつて水害の常襲地帯であった出雲市の平田地区で、平田中学校1年生40人が昨年11月18日、1972(昭和47)年の水害を経験した人々の聞き取り調査を行った。調査を行ったのは「総合的な学習の時間」で防災コースを選択している生徒たちで、平田の水害の歴史や防災対策について調査・研究を進めている。



平田船川上流西郷土手 7支川から流入 大雨で一帯湖に

 平田船川を広げる工事が西田地区で進んでいる。川沿いで板金業を営む西尾康弘さん(55)に話を聞いた。

 -家のすぐ横を流れている平田船川は川幅が数メートルしかありません。この川がはんらんして、辺り一帯が湖のようになる原因は何ですか。

 「ここから上流の平田船川には大谷川や水谷川など全部で7つの支川があります。大雨が降ると、降った雨がこれらの支川を通して平田船川に一気に流れ込みます。川幅に比べて流域面積が大きいのが洪水の原因です」

 -水害のとき、どんなことをしましたか。

「水が入って来ないように、家の周りに土のうを積みます。そして、当時は雑貨屋をしていましたので、店の商品を高い所に上げました。車は高い所に避難させます」



47水害について聞き取り調査をする平田中生徒たち
宍道湖に近い灘分地区 交通は船、漁師さん活躍 浅く小さくなった宍道湖

 長年、宍道湖でシジミ漁を続けている小村富夫さん(86)に尋ねた。

 -小村さんはどんな救援活動をしたのですか。

 「交通手段は船しかなかったので、わしの船に市役所の職員を乗せて、家々を回って食料を届けたり、安否確認をしたりしました」

 -牛など家畜を飼っている農家も多かったと思いますが、水害のときはどうしたんですか。

 「手綱を引いて水の中を泳ぐように斐伊川土手まで連れて行ったり、いかだを組んで、その上に牛を乗せて避難させた人もありました」

 -シジミ漁に被害はありませんでしたか。

 「大雨で宍道湖の塩分濃度が下がるとシジミが死にます。産卵も減って、2~3年はシジミの漁獲量が減ります。長年、漁師をやっているのでよく分かるんだが、宍道湖が浅くなっている。昔は深いところで8メートルくらいあったのに今は6メートルくらいしかない。それに、あちこちで干拓したでしょう。だから、宍道湖が小さくなって、大雨が降れば水があふれるのは当たり前ですよ。さらに、住宅開発で田畑が減って、水をためておく力が小さくなったことや、松枯れなどによって山が水をためる力も弱くなったこと、川が改修されて三面コンクリートになり、降った雨が一気に平田船川や湯谷川に流れこむことなども水害の原因だと思っています」

昭和47(1972)年水害で水没した農家を回り避難民を収容する船(平田新田)=出雲市提供
 長年、治水対策に力を尽くしてきた西尾晶吉さん(82)から湖遊館付近にある水門の役割について説明を受けた。

 豪雨で宍道湖の水位が上がったとき、水門を閉めて逆流を防ぎ、さらにポンプで平田船川の水を宍道湖側に強制排水するためのものだった。湯谷川と平田船川が合流する地点にある水門も、湯谷川の水を平田船川に強制排水するためのものだ。今、建設中の潮止め水門は、洪水のときに宍道湖からの逆流を防ぐとともに、塩分を含む汽水が流れこむのを防いで、平田船川と湯谷川の水を農業用水として使う役割を担っている。



平田市街地 トイレ使えず2階でオマル

 水害の記録写真を撮り続けてきたアタゴ写真館の田中久雄さん(75)に聞いた。

 -困ったことは何ですか。

 「トイレです。昔の便所は地面に穴を掘って作った、いわゆる”ぽっちゃん便所”ですから、そこに水が入り込んであふれるわけです。水と一緒にふん尿が家々に流れ込んでくるので、水害の後、伝染病が発生したりします」

 「そういうわけで、トイレは使えませんので、避難している2階でオマルを使って用を足していました。子どもは階段からオシッコをしたりしていました」

 -水が押し寄せてきたとき どうしましたか。

水害で水没した旧平田市内(昭和47年)=出雲市提供
 「水害は毎年のように起きていましたから、慌てません。生活の知恵がたまっているんです。47年水害の時、私の家は床上30センチぐらいまで水につかりました。どのくらいまで水が来るかは経験的に分かります。箱を重ねて台を作り、その上に畳を置いて棚を作ります。商売道具のフィルムやカメラはその上に置きます」


 長い2階生活 頼りは近所助け合い

 47年水害の時、湯谷川沿いに住んでいた高橋樹男さん(72)に話を聞いた。

 -どのくらい浸水したのですか。

 「畳の上35センチまで水が来ました。道路は真ん中しか歩けませんでしたが、それでも90センチくらいはありました。4日間で490ミリの雨が降り、湯谷川の水位は2・5メートル上昇したので、道路は全く見えない状態でした」

 -食べ物はどうしていたのですか。

 「水道は大丈夫だったので水はありました。当時、火と言えばプロパンガスでしたから、ガスボンベとコンロを2階に上げてご飯を炊きました。雑貨屋を経営していましたので、店の缶詰やつくだ煮などをおかずにして食べました」

 -よそへ避難することはなかったのですか。

 「大体の家は2階で避難生活を送り、2階がない家は2階のある近所の家に身を寄せていました」


 水が引いた後は消毒やごみ集め

 湯谷川沿いに住む大谷修一さん(63)を取材した。

 -水が引いた後、どんな作業がありましたか。

 「床板を乾かし、家の中の泥をかき出しました。それから、家の中や周りに流れてきたごみを集めて燃やしたり、伝染病の発生を防ぐために家や道路を消毒したり、いっぱい仕事がありました」

 -不自由なことは何でしたか。

 「情報がなかなか集められなかったことです。町中がどんな状況になっているか分かりませんでした」

 -湯谷川や平田船川の改修が進んで効果はありましたか。

【平田47水害マップ】平田に水害が起きる原因や取材地点を表した図
 「川の流れが良くなって、水位が上がってもすぐ引くようになりました。でも湯谷川改修工事は、今は雲州平田駅付近の栄橋下流部までしか進んでいないので、上流の美談周辺は一時的に水につかることもあるので、まだ安心とは言えません。3点セットが完成すれば本当に安心できると思います」



解 説 平田の水害の原因 川幅狭く、逆流も

 平田は毎年のように水害に見舞われていた。水害の大きな原因は平田を流れている川の造りにある。平田船川の河口にある湖遊館付近と約5キロ離れた平田中学校付近の水面の高低差はほとんどない。湖遊館の標高は2・3メートル、平田中学校は2・4メートル。陸地の高低差もほとんどない。そのうえ、川幅が狭かったので、上流域に大量の雨が降ると、水が流れず川がはんらんして、平田地区が水につかってしまうのである。

 もう一つの原因は、宍道湖の水位が上昇することだ。大橋川の川幅が狭く、斐伊川など宍道湖周辺の川から流れ込んだ水が中海に流れきらず、宍道湖の水位が上がる。すると、平田船川や湯谷川の逆流が起きて平田が水につかる。

 水害を根本からなくすために始まったのが治水対策3点セット。3点セットとは(1)斐伊川と神戸川の上流にダムを造って、降った雨の一部をためる(2)斐伊川と神戸川をつなぐ放水路を造って、斐伊川の水の一部を日本海に流す(3)大橋川の川幅を広げること-の3つである。平田では平田船川と湯谷川を広げる工事が進んでいる。



編集後記座談会 現地だから実感できた 急がれる3点セット整備

 多久和 聞き取り調査をしてどんなことを感じましたか。

 玉木 現地に行かないと分からないことがいっぱいあるということです。田中さんの家の前の平田船川は、こう配がないので水がほとんど流れていませんでした。水害が起きるのは当然だ、と実感しました。

 江角 僕は平田船川を広げる工事の最終地点を見ましたが、そこから先は急に狭くなっています。昔の平田船川はたったこれだけの幅しかなかったのか、と実感しました。

 槇野 僕も湖岸堤防が決壊したという話を聞いて、あの堤防が決壊するのか、と水圧のすごさを感じました。

 釜屋 水害の原因が初めて分かりました。宍道湖から日本海に流れる川が大橋川と佐陀川しかないので、大雨が降ると宍道湖の水位がすぐに上がってしまいます。宍道湖と日本海をつなぐ川をもう一つ造るとかはどうだろう?

 長島 でも、温暖化で海水面が上昇したらどうなるんですか。逆流して大変なことになるんじゃない。

 玉木 水害の時、近所の人たちが互いに安否確認をしたり、食料を分け合ったりして助け合う話がとても印象に残っています。

 長島 そうそう。水が引いた後、伝染病が発生しないように近所の人たちが協力して地域を消毒して回ったという話も印象に残りました。

 槇野 助け合うための人のつながりという点では、娘を水害のないところに嫁にやって、いざというときに助けてもらうようにしていた、と小村さんは言ってました。

 長島 水害に見舞われたときの生活の知恵もいろいろあるなと思いました。

 槇野 小村さんの話では、家が水に浮かないように、天井裏には厚さ10センチほどの土が敷いてあるそうです。

 多久和 先月、大橋川を広げることを鳥取県が了解したニュースを聞きました。3点セットが順調に進みそうで安心しました。

 江角 僕の家は斐伊川土手のすぐ下にあって、平成18年水害の時は家の周りが湖状態になりました。3点セットを早く完成させてほしいです。

 釜屋 3点セットが完成していたら、平成18年豪雨では松江市街地における浸水もほとんど防げた、と聞きました。

 多久和 でも、肝心の松江では、松江のシンボル的存在になっている松江大橋を保存してほしいという声が上がったり、川の拡幅に消極的な人たちもいるらしい。水害の経験がある人とない人、3点セットの効果を実感できる人と分からない人では考え方も違うだろうと思います。完成までにはまだまだ多くの困難がありそうです。



制作スタッフ
 多久和芽衣、槇野泰河、江角拓馬、釜屋涼太、長島美緒、玉木貴裕

2010年1月26日 無断転載禁止

こども新聞