(45)民家に絵はがき800点

【樋野コレクション】数十冊のアルバムにまとめられた絵はがきや写真、切手などを前に歴史談議が弾む樋野俊晴さん(右)と松江市史編さん委員乾隆明さん=松江市雑賀町、樋野家
【宍道湖畔千歳ヶ岡】「宍道湖畔千歳ヶ岡東宮御野立て所前の列車」とある。場所は現在の松江市玉湯町林。1907(明治40)年5月26日の大正天皇山陰行啓録(同年9月発行)に「徒歩にて石段十数段を上がり御野立所に入る」とあり、写真右がその場所だろう
【大社教育水族館】「大社教育水族館」。別の絵はがきに「国土奉還神蹟地因佐濱」のスタンプと「塩焼島(神代初メテ塩ヲ焼キシ所)」とある。現在の出雲市大社町の稲佐の浜らしい
【子ども博覧会】1911(明治44)年5月16日、松江城二の丸で開催された子ども博覧会。ゲートの上には旗を持った桃太郎と犬、猿が見える。別の絵はがきには1969(昭和44)年まであった武徳殿前広場で子どもたちが集団演技をしている作品もあった
【島根県庁と松江城】島根県庁新築落成式のスタンプがある。県庁と松江城が写っている写真は珍しい。写真の人物は松永武吉知事(右)と若林賚蔵知事
【大山の分ノ茶屋】霊峰大山の分ノ茶屋。現在は道路脇に所在を示す石柱だけが建つ。徒歩が中心だった当時は大山詣での信者らでにぎわっていたという
【島根県農工銀行創業10年】島根県農工銀行創業10年並びに行舎新築記念。記念スタンプは1908(明治41)年10月10日。稲穂とともに当時の主力産業だった生糸と機械化のシンボルだった歯車がデザインされている
【松江高校体育大会】1927(昭和2)年11月3日に開催された松江高校体育大会の記念絵はがきの1枚
 明治~昭和の世相映す

 タンスの奥深くしまわれていたはがきや手紙が、何かの拍子で再び日の目を見ることがある。松江市雑賀町の樋野俊晴さん(70)方に保存されていたのは、800点以上にのぼる絵はがき。1889(明治22)年から松江郵便局に勤めていた祖父・龍さんが、明治末から大正、昭和にかけて収集したものだった。

 大正時代には「絵はがき文化」が華やかに開花した。風景や神社仏閣、名所旧跡をはじめ、産業、慶事、果ては人気芸妓(げいこ)に至るまで、ありとあらゆるものが対象になったという。それは欧米人のジャポニズム(日本趣味)、大正ロマンの一翼も担った。

 他方、戦争も絵はがきと切り離せない。日露戦争では絵はがきが一大ブームになり、太平洋戦争では戦意発揚、国防意識高揚など国策として利用された。樋野家のコレクションの中にも、台湾や韓国、中国、ロシアなどに出征した友人、知人に切手を託し、現地から郵送を頼んだ作品が多数ある。

 これらの絵はがきは、見る者を何十年も昔にタイムスリップさせてくれる。印刷された写真や絵が、古老から聞いた風景や風俗、世相をよみがえらせる。まだ美しい未使用の絵はがきだけではなく、消印や記念スタンプが秘めた多くの情報も史料的価値を高める。

 今回は、山陰両県に関係した絵はがきの一部を紹介する。

 写真と文 本社報道部・伊藤英俊


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2010年2月22日 無断転載禁止