(47)港町と遊女

【美保関の二千両箱】北前船が寄港した港町の繁栄を物語る二千両箱=松江市美保関町、美保関資料館
【遊郭番付表】全国版遊郭ランキング表。○の部分が美保関=出雲市下古志町、神田忠興さん所蔵
【遊女からの恋文】文書(恋文)にある色刷りの挿し画や流麗な女文字が、当時の優雅な色街の一端をうかがわせる=江津市桜江町、中村家所蔵
繁栄ぶり示す二千両箱

 かつて北前船の寄港地だった港町の往時のにぎわいは、現代人の想像をはるかに超える。その一つ、島根県美保関町の繁栄ぶりを示すのが「二千両箱」だ。

 文政12(1829)年の史料では、美保関には物産の取引問屋が42軒あり、取引高は2万両に上ったという。松江藩の御札座は美保関に為替方を設け、資金を10箱の二千両箱に入れて美保関に運んだ。現在なら20~30億円に相当する巨費。その時の二千両箱が美保関資料館に残っており、10箱目を表す「十」の数字が記されている。

 世界中の港町には大なり小なり、船乗りや船客相手の遊び場が発達した。美保関も例外ではない。北海道から長崎まで150カ所の遊郭を取り上げた番付表「国々いろさと番付并(ならびに)あたい(値)付」(江戸時代末期)では、西29番目に「美保関」が登場する。

 鷦鷯義夫編「史実と伝説 美保関」(美保関新聞社刊)によると、「遊女は常に50~100人、山陰随一の歓楽郷」。番所勤めの若い藩士と遊女の悲恋も記されており、2人の心中塚が昭和初期まで町内の獅子ケ鼻にあったという。

 ところで、江津市桜江町の中村家に残る「遊女の恋文」の主は、同じく北前船の寄港地としてにぎわった温泉津の遊郭にいた。文面からは、彼女らの生きざまの一端がうかがえる。

 恋文は<恋しき 花のおん方様 御ぞんじより>で始まり、先日は袖(そで)にしたのか<共にするはずでしたのに(中略)折あしくお相手できず>と、わびを入れている。そして<この次はゆっくりとお目にかかりまして>と誘う。

 他方で、ごぶさたしている客には<石舟が沈むように、私の想(おも)いが沈むようなことがあっても、あなた様をしのんでいます>と、流麗な女文字で男心をくすぐる。

 しかし、苦界に身を沈めた女性たちは、最後はぼろぞうきんのように使い捨てられていく運命にあった。

 例えば松江市内の旧家に所蔵されている「飯盛女奉公請状」は、尾道(広島県)から連れてこられた女性の四年間の年季奉公の契約書。市文化財課史料編纂(さん)室の内田文恵主任編纂官によると、父親が得た金は45両で、契約内容からは女性の哀れな人生が透けて見える。

  文と写真 本社報道部・伊藤英俊


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2010年3月8日 無断転載禁止