(48)松江藩ゆかりの松平農場

【大正初期の農場本部】大正初期の松平農場の農場本部全景(北海道開拓記念館・内田家資料)
【新事務所完成】大正4(1915)年9月完成の新農場事務所。木造平屋から木造様式亜鉛ぶきペンキ塗り2階建てに建て替えられた-大正初期撮影-(北海道開拓記念館・内田家資料)
【明治後期の農場付近】農場事務所付近全景-明治41(1908)年11月-(北海道開拓記念館・内田家資料)
【馬車で農場主視察】馬車で農場を一巡して視察する農場主・松平伯爵夫妻-大正15(1926)年8月-(北海道開拓記念館・内田家資料)
【田植えに小作人集合】田植えに集合した農場の小作人-明治41(1908)年6月-(北海道開拓記念館・内田家資料)
【松江神社】農場内に勧請された農場鎮守社の松江神社-大正5(1916)年-(北海道開拓記念館・内田家資料)
【松江神社】明治末期ごろの松江神社
【現在の鎮守の森】実りの秋を迎えた旧松平農場。中央上部付近が松江神社があった鎮守の森(吉野蕃人氏撮影)
 北の大地に輝く足跡

 かつて北海道に、松江藩ゆかりの「松平農場」が存在したことをご存じだろうか? 場所は現在の旭川市東鷹栖町と隣町の鷹栖町を結んだ一帯。関秀志著「松平農場史」(旭川振興公社刊)によると、広さは1752ヘクタールに及び、小作農約340戸(約1900人)を抱えていたという。北海道開拓記念館(札幌市)には、往時の貴重な写真が保存されている。

 島根大学名誉教授の吉野蕃人さん=松江市雑賀町=は平成14(2002)年9月、その松平農場があった旭川盆地を訪れ、稲がたわわに実った広大な田園を見た。「先人が汗と涙の苦闘によって築きあげた農場の延長であると思うと、目頭が熱くなった」と話す。

 明治政府は、廃藩置県で失業した士族の救済も目的に、北海道移住の農兵を奨励した。いわゆる屯田兵である。しかし、新天地を求めたのは下級武士や貧農だけではなく、徳川慶勝(名古屋藩)、毛利元徳(山口藩)、鍋島直大(佐賀藩)、前田利嗣(金沢藩)ら旧藩主もこぞって開拓に乗り出した。これらは「華族大農場」と呼ばれ、政府から国有未開地の貸し付けを受け、開墾を通じて広大な農地を取得した。

 明治27(1894)年、松平家13代当主・直亮(なおあき)が開いた松平農場もその一つで、時代を先取りした先進的な経営で北海道開拓史に輝く足跡を残している。

 特筆されるのは、小作争議のない模範農場としての名声だろう。第1次世界大戦の後、農村は不況や水害、凶作に見舞われ、大正末から昭和初期にかけて各地で小作争議が多発。全国的な労働運動・農民運動の影響を受け、階級闘争へ発展していく。松平農場は当時、いち早く農地を小作農民らに解放したという。

 このため、昭和12(1937)年に松平農場が幕を閉じた際、地元新聞は「本道(北海道)開拓史に不滅の光輝、刻苦経営42年間の功績」(昭和10年10月31日・小樽新聞)、「松平農場全部解放」(昭和12年6月10日・北海タイムス)と大々的に報じた。今も旭川では「争議の蜂須賀、平和の松平」と語り伝えられている。

 一般的に「農地解放」という用語は、戦後日本の改革として使われる。それに先立つこと十数年。松江藩ゆかりの松平農場は、北の大地に自由と進取の歴史を刻んだ。

 文と写真 報道部・伊藤英俊

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2010年3月15日 無断転載禁止