(34)津和野駅転車台(TUWANOEKI TENSHADAI) 津和野町後田

機関車C56を載せて回転するJR津和野駅の転車台。郷愁を誘う風景が老若男女を引き付ける=島根県津和野町後田
 「SLやまぐち号」から放たれた汽笛が、もえぎ色に染まり始めた津和野盆地の山々に響く。JR山口線の津和野駅(島根県津和野町後田)。「貴婦人」の愛称でSL人気をけん引する機関車C57が点検修理中のため、代役を務めた小型のC56は、終着のホームに降りる客を見送ると、ゆっくり動きだした。

 漆黒の車体をゴトリと転車台に委ねる。まるで理髪店のいすのように90度回転すると、機関車は給水設備などがある点検車庫に入っていった。

 転車台は鉄道車両の進行方向を変える装置で、機関車が終着駅から反対向きに列車をけん引して帰るのに欠かせない。SL全盛時には出雲、浜田、木次といった島根県内の機関区にもあったが、今では中国地方で数えるほどしか残っていない。津和野駅の転車台は1922(大正11)年製だ。

 いつも列車を引っ張るC57の場合、車長は20メートル。片や転車台は、機関車を回す橋げた状の部分が直径約18メートルしかなく、正確な位置に載せないとバランスが崩れ、空転してしまう。5~10センチの誤差の範囲で機関車を停止させる作業は、機関士の腕の見せどころとなる。

 「合図の旗と呼吸が合わず、機関士とよくけんかした」。かつて庫内運転係として35年間にわたり転車台を操作した竹内一人さん(80)=同町森村=は、懐かしそうに振り返る。

 大正、昭和を越え、竹内さんより”年上”の転車台は、元の図面が残っていない。修理の際は現場で部品の寸法を測り、県外の工場で一からつくるなど、鉄道マンの創意と工夫で守られてきた。

 陰陽を結ぶ鉄路の要衝だった津和野駅だけに、昔は転車台の先に扇を広げた形で車庫が配置してあり、10台余りの機関車が収まっていたという。今は跡地が広場となり、SL運転日には珍しい作業風景を見学する観光客でにぎわう。広場を円く囲むコンクリート壁は、車庫の基礎部分の名残らしい。

 機関車C56は、1時間余りで水の補給と火床整備を終えて再び回転し、ホームに戻ってきた。白い水蒸気が背景の西中国山地に映え、燃える石炭の独特のにおいが、春の優しい風に乗って鼻をくすぐる。

 「あぁ…このにおい」。近くにいた年配の観光客が、しばし空を仰いだ。

 (写真と文、本社報道部・森山郷雄)


 JR津和野駅転車台 現在のJR山口線が津和野まで開通した翌年の1923(大正12)年、機関車のスムーズな運行のため設置された。津和野機関区は最盛期には約200人の職員が勤務。転車台は73年に山口線からSLが消えた後も残り、その後のSLブームと再運行の際、誘致に名乗りを上げた全国30線区で唯一の復活路線に選ばれる要素となった。点検中のSLの煙などを吸い取るアーチ状の集じん装置や給水作業台が、現在も近くにある。

2010年4月26日 無断転載禁止