<2>輝く現存最古の寄木柱

松江城天守の「寄木柱」。現存最古の集成材の柱として価値が高い=松江市殿町
 松江城(松江市殿町)の天守には「寄木(よせぎ)柱」と呼ばれる柱が多数ある。芯になる柱材を複数の厚い板で覆った、集成材の柱だ。7寸(約21センチ)角の松材を厚板で四方から包んで、1尺(約30センチ)角の太さにしたものなど計100本以上。厚板にかすがいを打ち、金輪で締めて強度を高めている。

 古建築が専門の三浦正幸広島大大学院教授によると、集成材の柱が、日本で初めて使われたのは1609年造営の出雲大社。豊臣秀頼が施主で、堀尾吉晴が担当奉行の一人だった。次が松江城で、その吉晴によって2年後の11年に完成した。いずれも柱の材料になる大木が乏しかったための工夫らしい。

 同じころ、秀頼が京都で再建していた方広寺大仏殿にも、出雲大社で使われた新技術の集成材が導入された。それをまねて集成材の柱で再建されたのが、国宝で世界最大の木造建築として有名な東大寺大仏殿(奈良市)だという。1709年に完成した。

 出雲大社はその後建て替えられ、方広寺大仏殿は焼け落ちて、集成材の柱を持つ古建築は松江城と東大寺大仏殿だけになった。だから松江城の寄木柱は、大仏殿の柱のルーツとなる現存最古の集成材の柱だ。城では松江城だけに見られる。

 三浦教授は「松江城の寄木柱は、出雲大社とほぼ同時期だから、日本最初の集成材の柱と言ってもいい。同時発生的ではなく、直接的に東大寺大仏殿へとつながっており、日本の建築史上、輝くべき記念碑。国宝につながる価値だ」と強調する。

 東大寺以降、使われることがなくなった集成材が再び脚光を浴びるのは現代。三浦教授は言う。

 「集成材の柱は、木材を有効活用したエコな柱で、現代は集成材の時代。松江城の技術が、400年後の平成の御代によみがえった」

2010年5月3日 無断転載禁止