<3>実戦意識した石段配置

陽光を浴びる松江城の石段。上りきると三ノ門跡に至る=写真はすべて松江市殿町
石段には散策する観光客が行き交う
 城は戦に備えた建築物である。松江城(松江市殿町)も例外ではなく、実戦を意識した構造や仕掛けが随所に見られる。防御より通路の機能が大切に思える石段にも、巧妙な工夫が凝らされた。

 実際に、大手前広場から天守に向かってみよう。馬溜(うまだまり)跡、大手門跡を通り過ぎて左に曲がった後、三ノ門跡へ至る石段を上る。ところが、石段は目的地へ真っすぐに延びているわけではない。途中で石垣に遮られ、いったん右に折れてから、次の石段を上っていく。

 現代人の感覚だと一直線の石段が合理的だが、二段階にずらしたのが築城時の戦略。城を攻める寄せ手の軍勢は、城内に侵入して石段を駆け上がるが、この石垣にぶつかって進撃が一時的に止まる。そこで城兵は、石垣の上などから弓や鉄砲を放って敵を倒す仕掛けだ。

 こうした石垣や石段の配置を城の「縄張り」と呼ぶ。いかに寄せ手に犠牲を強いるかが、縄張り設計のポイント。松江市教育委員会文化財課の山根正明専門官によると「松江城は狭い築城面積を有効に使うため、右に左にターンさせる仕掛けなどが数多くある」という。

 松江城は1607~11年に築城された。関ケ原の合戦が終わって間もないころで、東西の対立が残り、いつ戦が起こってもおかしくなかった。それだけに、実戦への備えが顕著だという。

 ただ築城後の松江城は、一度も戦火に遭遇していない。訪れた観光客らがゆったりと石段を上り下りする光景は、平和そのものだ。

2010年5月31日 無断転載禁止