<8>敵軍欺く「鉤型」の道

城下町・松江に点在する鉤型路。夜間に近くのビルから見下ろすと、街灯に照らされた変則十字路と自動車の光跡が、幻想的に浮かび上がった=松江市寺町(30秒間露光)
南北筋がずれていて、北進すると前方の寺に突き当たる鉤型路。見通しがきかず、敵方に先へ進めないように錯覚させる仕掛けだ
 松江城周辺の市街地に見られる「鉤(かぎ)型路」は、交差する2本の道路の一方を意図的にずらし、屈折させている。この変則十字路は築城とともに造られ、市街戦を想定して防衛のため計画的に配置された。松江が城下町だったことを物語る重要な痕跡といえる。

 代表的な鉤型路の一つが寺町と白潟本町にまたがる十字路で、南北筋が屈折している。築城当時、敵は主に南側の山陰道方面から攻めてくると考えられ、松江城に攻め入る軍勢は南北筋を北進する可能性が大きかった。道路が前方の寺に突き当たる変則十字路は、それ以上、北進の道はないように見える仕掛けだ。

 松江郷土館の安部登館長は「道をずらすことで行き止まりだと勘違いさせ、敵の勢いをそぐ狙いがあった」という。

 一筋西側の通りにも同様の鉤型路があり、北進すると、市民活動センターが入居するスティックビルにぶつかる。東西筋をずらした個所としては、松江城に近い殿町の交差点がよく知られている。

 安部館長によると、小さなものも含めれば数多くの鉤型路が現在も残り、それらは築城後間もないころの城下町の絵図に合致する。「松江の素晴らしいところは、天守と城下町がセットで残っていること。鉤型路はその姿を伝える貴重なものです」と強調する。

 戦災や災害を免れ、近代都市計画の合理主義にもつぶされなかった鉤型路。もともと敵の足かせになる設定だけに、自動車を操る現代人は幾分の不便さを感じるだろうが、歴史を身近に体感できる遺構でもある。

2010年9月27日 無断転載禁止