<12>天守の骨組み示す雛形

松平直政の時代に竹内右兵衛(有兵衛とも記す)が作ったとされる「松江城天守雛形」。天守の内部構造が分かる=松江市殿町、松江城
 松江城の天守に展示されている「松江城天守雛形(ひながた)」は、寛永年間(1624~44年)に作られた木組みの模型だ。高さ3尺3寸5分(約1メートル)で、実物のおよそ30分の1の大きさ。城の大工頭だった竹内右兵衛(うへえ)が作ったと伝えられている。

 「松江市の指定文化財」(松江市教育委員会刊)などによると、竹内は、松江松平藩の初代藩主・松平直政のお抱え大工で、直政の出雲入国に随従。1638(寛永15)年、天守に約3尺(約90センチ)の傾きがあるのを発見し、修理方法を考えるために雛形を作ったという。

 修復後、雛形は二ノ丸の御月見櫓(おつきみやぐら)下に納められ、歴代藩主が天守に上がる折には必ず見たといわれる。

 廃藩で雛形は竹内家の所有となったが、その後、楽山神社に奉納され、松江神社に伝えられた。1953(昭和28)年、松江市指定文化財になった。

 全国では、松江城と同じ現存天守12城の一つの宇和島城(愛媛県宇和島市)に1860年の修理時に作った雛形が残る。また、大洲城(同県大洲市)では、明治維新で取り壊された天守を2004年に復元した際、残っていた雛形が大きな手掛かりになった。

 ガラスケース越しに見る松江城天守雛形は、等間隔に並ぶ柱に梁(はり)、屋根をつくる垂木や隅木など、数多くの部材からなる。屋根瓦や板壁のない雛形を通し、実際には見られない天守の骨組みを想像することができる。

2010年11月29日 無断転載禁止