<14>2体の直政初陣騎馬像

米原雲海が制作した「松平直政初陣図銅像」。島根県庁前に復元された直政銅像の原型となった=松江市殿町、松江城
青山泰石が制作した「松平直政初陣図銅像」。もとは松江神社に御神像として奉納された=松江市殿町、松江城
 松江城の天守に「松平直政初陣図銅像」と名付けられた2体の像が並べて展示されている。松江松平藩の初代藩主である直政14歳の初陣の騎馬像で、作者も違えば、造形も対照的な大正時代の作品。天守を訪れた人は必ず目にするであろう像だが、この2体にまつわるエピソードを知る人は少ない。

 像の一つは安来出身の彫刻家米原雲海(1869~1925年)の作で、高さ約90センチ、幅約1メートル。手綱を引いて馬を御する、一見静的な造形が、直政の秘めた闘志を伝える。もう一方の像は松江出身の彫刻家青山泰石(1864~1933年)が作った。高さ約90センチ、幅約80センチで、騎乗の若武者を躍動的に表現している。

 雲海の像は、かつて松江城の本丸にあった直政銅像の基になった小型の原型。雲海は、銅像制作に向け大小の原型を作ったが、55歳で死去。門人が遺志を継いで銅像を完成させ、2年後の1927(昭和2)年に本丸に建立されたが、戦時中の金属供出で失われた。その後、小型の原型に基づいて直政銅像が、おととし11月に島根県庁前に復元された。

 実は、直政銅像を松江城に建立することを最初に発案したのは、泰石だった。泰石は関係者の賛同を得て、自ら制作すべく準備を進めていたが、地元有力者が集まった1913(大正2)年の銅像建設の相談会で、雲海が制作者に決まった。

 そのいきさつについて、「松江城歴代藩主の菩提(ぼだい)寺」(内田兼四郎編著、1980年発行)は、古老の話として「技術云々(うんぬん)より、政党あらそいの、もつれから、まきこまれた話からだったらしい」と紹介している。

 泰石自身は「直政公御銅像製作辞退事情」に経緯を詳述。形式的に一度、制作を辞退するよう関係者に勧められて、それに従ったことを明かし、「私は憤慨に堪えません」「うっかり人の言葉を信ずるの愚なるを悟りました」などと憤りや後悔をつづっている。

 泰石はその後、1917(大正6)年から直政像を2体作った。1体は松平家に献上した後、紆余(うよ)曲折を経て、松江市役所ロビーや松江郷土館で展示されてきた。もう1体が天守に展示されている像で、もとは直政の御神像として松江城の二ノ丸にある松江神社に奉納したものだ。

 泰石は1921(大正10)年、松江神社であった御神像入魂式に臨席。12年後に69歳で亡くなった。

2011年1月17日 無断転載禁止