益田東中「ヤングこだま」特集

車、飛行機、携帯、パソコンと、テクノロジーの進歩は著しいが…(コラージュ)
 テクノロジーとの関わり方

 今回の青春はつらつ新聞は、益田市立益田東中3年生の「ヤングこだま」特集です。同校では国語の授業で「テクノロジーとの関わり方」について学習。天文学者の池内了さんの「テクノロジーとの付き合い方」と、哲学者の黒崎政男さんの「テクノロジーと人間らしさ」と題した二つの文章を読み、それを読み比べながら自分が思ったこと、感想などをまとめました。その中からまず6編を紹介し、同時に「ヤングこだま」欄でも本日付から3回に分けて紹介します。


 意見要約

 天文学者 池内  了さん

 かつて「必要は発明の母」と言われていたのが、「発明は必要の母」となった現代では、感性と知的能力の順序が逆転した。そして、テクノロジーは確かに人間の外的な身体能力を拡張したが、個々の人間が持つ内的な身体能力は衰えてきた。新しいテクノロジーと付き合う方法として、テクノロジーを使えば自分の持つ身体能力の何が失われていくのか、考える癖を持つことが必要だ。

 哲学者 黒崎 政男さん

今やテクノロジーは我々の生命やコミュニケーションや対人関係の一番根底的なところにまで食い込み、マシンは人間にとって本質的なものになっている。だが、テクノロジーが人間らしさを喪失させるという批判は素朴すぎる。人間は徹底的にテクノロジーに巻き込まれている存在であり、それによって人間らしさが失われてしまうとしたら、それは現代人の根本的な衰弱を示している。



自然楽しむ心の余裕も

  3年 岸  隆宏

 僕は国語の時間にテクノロジーとの関わり方について学習したとき、「テクノロジーは人間を幸せにするのだろうか」と考えました。

 これは、あくまで自分の想像ですが、テクノロジーがさらに高度なものになると、それにより日常生活は豊かになります。しかし、心の面ではどうでしょうか。ゲーム脳になる子どもや、コンピューターや携帯が普及することで、簡単に人との接点がなくなる状況ができ、そして引きこもる大人、ネットで偽の情報やウイルスを流して混乱に陥らせて喜ぶ人。これらはテクノロジーによって心が疲弊しているから起こる現象といっていいのではないでしょうか。

 心の面が衰退していくことによって簡単にストレスがたまり、ささいなことで争いが起こる。それどころか、そのきっかけをも作り出そうとする。その争いにテクノロジーが加わることにより、さらに被害が大きくなる。それが続いていくと、いつかは私たち人類、いや地球が滅ぶことになるかもしれません。

 地球が滅びるということは、ほかの生命体をも巻き込むことでもあります。たかが自制心がない人類がテクノロジーを持ったというだけで、他の生命体を巻き込んでいいのでしょうか。いいわけないでしょう! そのような争いをなくすためにも、ちょっとしたことに楽しさを見つけられる心が必要だと思います。

 子どものころを思い出してください。ほぼ毎日のように自然に触れ、花がかわいいとか、月がきれいだとか、そのようなちょっとした自然の素晴らしさをいつも見つけていたはずです。

 ところが、成長してテクノロジーに浸っていくうちに、そのような心をなくしているような気がします。今の私たち中学生もそうなっている途中だと思います。そして、いつか心の余裕のない大人になっていくのでしょう。

 そうならないためにも、今の私たちにはテクノロジーに浸りすぎることなく、自然を楽しむ心の余裕を持つことが大切なのではないでしょうか。


効率追及し大局見失う

  3年 福原 直也

 僕は国語の授業でテクノロジーについて学ぶ中で一つの疑問が生まれました。「そもそもテクノロジーって何?」ということです。意味調べの時間に辞書で引いてみると、「主に自然科学の成果に基づく実際的な技術」と、何か難しいことが書いてありました。簡単に言うと、自分の体験からより効率的な方法をつくり出す、ということではないかと思います。

 では「より効率的」とは具体的にどのようなことをいうのでしょうか? 大昔の人は火を起こすために火打ち石を使い、肉を切るために石器のナイフを使っていました。これらもテクノロジーの一つで、人の手を使うより効率的です。

 近代になるとどうでしょうか。18世紀半ばの産業革命以降、テクノロジーは著しく発展しました。しかし、このころから人間はテクノロジーの使い方を間違えてきています。環境問題についての本で読んだのですが、産業革命以降のエネルギー消費量と環境の悪化は見事に反比例しています。人間は「より効率的」を追及し過ぎて、大局を見失っているのではないでしょうか。

 現代ではさらにテクノロジーは進歩しましたが、それとはまた違う疑問が出てきています。これは僕が思ったことなのですが、なぜいまだに英語の翻訳機が普及していないのでしょうか。その場で通訳してくれるようなものです。今の世界のテクノロジーなら作れるような気がしますが、わざと作らないのではないかと思います。恐らくこれを作ってしまうと、英語教育や英会話教室に影響が及ぶからでしょう。

 ただ本当に作ることが難しいのかもしれません。でも、世界中の人と顔を合わせて意志を伝えることができれば、トラブルもなくなってより協力的に付き合えるのではないでしょうか。

 テクノロジーは真っすぐ過ぎてもいけないし、真っすぐには進めない、そんなもののように思います。もう一度見つめ直してください。


変わらぬもの探したい

   3年 宮﨑 唯子

 私はテクノロジーという言葉を聞くと、「マシン」とか「ロボット」という単語を想像してしまい、あまり身近に感じたことがありませんでした。でも、国語の授業でその意味を辞典で引くと「科学技術。またそれによって生み出された物」とありました。だから、テレビ、ケータイ、パソコンなど、私たちの生活のすぐ隣にあるものがテクノロジーだということに驚きました。

 その後の学習でテクノロジーについての文章を読んだ時、「私たちが『本来』と思っているような姿自身が、非常に人工的に作られてきた産物」という一文にすごく納得できました。そして、テクノロジーを身辺に感じることができました。

 テクノロジーは日々進化しています。それは誰もが感じていることだと思います。ケータイがすごく薄くなったり、テレビが3Dになったり…。

 私が最近身近に感じたテクノロジーの進化は、母がパソコン教室に通い始めたことです。私は技術の授業でパソコンの使い方を学ぶことは普通だと思っていましたが、母は全く学ばなかったそうです。

 技術だけじゃなく理科の授業でも、先生が操作するパソコンをスクリーンに映して勉強したりしました。だから、これから中学校の授業はテクノロジーによりどんどん変わっていくと思います。

 私が大人になったら、変わったことや物が本当にたくさんあると思います。でも、きっと変わっていない物もあると思います。今はそれが何か分からないけど、大人になったらそれが何か分かるようになりたいです。


頼りすぎずに付き合う

  3年 岡田 有可

 私は、国語の時間にテクノロジーとの関わり方について、二つの文章をもとに学習しました。

 私は、池内了さんの考えがとても印象に残りました。テクノロジーとは「人間の持つ欲望から生まれたもの」で、それにより人間が得たものがたくさんあります。例えば足の延長としての車や飛行機、脳の延長としてのコンピューターなど、それらのものは人間の身体能力を格段に拡張してくれます。

 しかし、良いことばかりではなく、人間が自然界から切り離され、テクノロジーの中でしか生きていけないという実感を持ってしまうのではないかという問題点もあります。

 例えば、エアコンにより、体温調節ができなくなったり、自家用車の使用によって足が衰えたり、糖尿病が増えたりなどの心配があると思います。

 21世紀の課題として、「ヒト」(自然界に適応しながら生き残ってきた動物)と「人間」(テクノロジーをはじめとする文化の創造者)の調和が必要だという考えに共感しました。

 パソコンはすごく便利なもので、私もよく家で使いますが、使いすぎによって人とのコミュニケーションが取れなくなったり、漢字能力が落ちたりするということをこの学習を通して学ぶことができました。

 これからの世の中は、きっとテクノロジーがなくてはならない世の中になっていくでしょう。だから、私はそれを使えば身体能力の何が失われていくか考える癖をつけ、頼りすぎないようにテクノロジーと付き合っていきたいです。


関係見極め戦っていく

  3年 福原 嘉起

 僕は、人にとって生まれ育った環境こそが当たり前であり、どんなに専門家が主張しても、それが当たり前になっている人たちにテクノロジーに反対だと主張されても、無意味なことではないかと思った。

 それに、何年か過ぎてまた新しいテクノロジーが生まれても、それはいつの間にか、それを認める暇もないくらいに疑問はじきに消えていく。人間の歴史は歯車のようにいつかは古くなって新しいものに取り換えられ、「その歯車は最初からそこで回っていた」という、そんな確信に変わっていく。歯車は何もなかったように平然と回り続ける。人間とテクノロジーはそんな関係にあるのではないかと思う。

 人の祖先は、火をつけるのに火打ち石などを使っていた。今になっては、ガスバーナーを使ったり、ボタンを押すだけで火をつけることができる。テクノロジーの発展は目まぐるしく、その中で人間はテクノロジーに対応している。いや、対応されているといった方がふさわしいと思う。今やテクノロジーは人間の欲望などによって進化がやむことなく、より使いやすく、エネルギー消費量を少なくするなど、いろいろなことが改善されている。

 人間は石油危機、地球温暖化などという問題を抱えている。それは自分たちが招いてしまった現実であり、その危機を乗り越えていかなければならない。

 この地球は映画のように今に人類滅亡や日本沈没などが起こるかもしれない。人間がこれから生きていくために、そして子孫を残すために、テクノロジーと自分の関係を見極め、一人一人が危機に直面していることを自覚して戦っていかなければならない。

 テクノロジーに人間は感化されつつあり、人間の生活はテクノロジーのかたまりといっても過言ではない。その中で、僕も人間の一人として、テクノロジーと向き合い、戦っていこうと思う。


危機に陥れた人の知能

  3年 高橋 慧一

 僕は、テクノロジーについて学習した中で、池内了さんの「失われた『ヒト』の能力は、『人間』が作り出したテクノロジーだけでは完全に代替できない」という考えに共感しました。

 人間が自然界で最も優れていることは「知能」です。臭覚も聴覚も視力も筋力も、他のさまざまな動物に比べれば足元にも及びませんが、知能だけは飛び抜けて優れています。これはいわゆる「自分たちが生きて行ける方法を探し、作り出して生きて行け」ということだと思います。体に武器がない人間は、自ら武器を作って自分を守り、服や家をつくり、寒暑を乗り切ってきました。

 だが、ここで問題が起きます。快適になると、人間に「欲求」が生まれてきます。そして、地球の陸、海までも自分の領域にしました。たくさんの生き物の中で、人間が地球を支配してしまいました。そして、地球上のものをどんどん使った結果が、今の砂漠化や生き物の絶滅につながっています。

 「欲求」を促進させる究極のものがテクノロジーです。「もっと使いやすく、もっと楽に」と、どんどんテクノロジーを進歩させていきました。しかし、その時の未熟な科学力の人間には、自然の恐ろしさを予測できなかったのだと思います。人間のテクノロジーの暴走を唯一食い止めたのが、地球温暖化などの自然破壊でした。

 恐らく人間はもう昔の暮らしには戻れません。それは「欲求」が生んだ衰弱のせいで、自然に立ち向かって行く力がなくなっているからだと思います。ここまで衰弱し進化した人間には、もう、環境を破壊せず、楽で使い勝手がいい製品を作り続けるしか生きて行く道はないのだと思います。そして、これは人間の飛び抜けた知能が自らを危機に陥れたのだと思います。

2011年2月27日 無断転載禁止

こども新聞