(19)清水の岩海 沢一帯埋める数千の岩

堂床山の山津波でできた清水の岩海。一帯は人と自然が調和した景観を今もとどめる=大田市温泉津町清水地区
 樹間に陽光が差し込んだとき、思わず息をのんだ。大田市温泉津町清水地区の堂床山(標高365メートル)北側山ろく。数千個に及ぶ岩が、沢一帯を埋め尽くす。人頭大から5メートルを超す岩をコケが覆い、緑が映える。清水の岩海は戦国時代後期、天文8(1539)年8月の豪雨時、堂床山で生じた山津波のつめ跡だ。

 「これだけ大規模の岩海は珍しい。集落はかなりの被害を受けただろう」。島根県立三瓶自然館サヒメルの中村唯史学芸員(38)が指摘する。

 温泉津の沖泊港と同市大森町の石見銀山を結ぶ銀山街道が、堂床山の北側中腹を通っていた。山容を変えるほどの大崩落により、銀山街道は通行不能になったに違いない。

 石見銀山に国内で初めて、銀製錬のハイテク・灰吹き法が導入されてから6年後。銀の増産でシルバーラッシュに包まれた時だけに、物資の輸送を担う街道閉鎖は、銀山での営みに多大な影響を与えたであろう。災害復旧が急ピッチで行われたと推測される。

 それでも、巨岩は動かしようがなかった。それどころか、当時の人々はうまく活用した。今も街道に残る「将棋岩」。上部の平らな面を使って街道を往来する馬子が休憩の際、将棋を指したとされる。

 堂床山には、山姥(やまんば)が住む岩屋があり、大岩のたまり水で山姥が顔を洗うときれいになったという伝説が伝わる。復旧後、多くの人々が街道を行き交い、清水の岩海をながめて生み出された伝承とみられる。

 集落を歩くと、岩を山水画のような庭園に仕立てた民家があり、紅梅と白梅が春を告げる。清水地区の棚田と池は、山津波によってつくられた。

 来年夏、世界遺産に登録される「石見銀山遺跡とその文化的景観」。広大な遺跡の中で、清水地区の風景は、先人が災害をたくましく乗り越え、自然と共生しながら暮らしを営んできた歴史を今に伝える。

2006年4月4日 無断転載禁止